東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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大寒

 ※ この詩は十年以上も前かと思いますが、日本未来派に発表したものです。
 ときどき流れてきて記憶していたある歌の冒頭に「大寒町の、、、、」という哀調を帯びた歌があって、そのおおさむ「大寒」という語彙に惹かれるものがあって、そのインパクトから、「大寒」というこの詩を書いたのです。それがあがた森魚の歌だと知ったの今日のことで、赤色エレジーをyoutubeで聴いていたところ、大寒が出てきて、ああそうだったんだと納得した次第でした。詩は書き下ろしでなく、再掲ながらあがた森魚の大寒を聴けるようにリンクしてアップしました。


  大 寒 

冬になると
ぼくは崖っぷちに追いつめられたような
うれしくないゆめをみる
転々と一家でさすらっていて
水もトイレもなんだかままにならず
現実には存在しなかった奇怪な場所
床が傾斜したぼろぼろの家で
つぎつぎとカーテンや扉をあけてそれをさがしている
尿意がいざなってくるそのゆめからさめて
あ、ここにいた、とぼくはおもう
再眠がなかなかやってこなくて
こんどはめざめたままでゆめをみている
ゆるやかに起伏する丘
眼路のかぎり森は広がり
濃紺に輝く山が裾をひろげている
そんな風景がめざめたゆめの底によこたわる
幼時三輪車をこぎながら眺めたふるさとの風景だ
まんまんと水をひそませた田園を歩いて
縄文のひとのように野草を口にふくんだりした
記憶のなかの風景にさらに絵の具を重ねて
みている画布は
もうなくなってしまった場所にある
東光寺の杜を寒風がわたって木々を揺する
冷え込んでくる大寒の朝
不幸なときにしあわせをゆめみるひとのように
マニスとソの字にならんで
いまいちどねむりに落ちていく



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夢のなかには登場するわたしと見ているわたしがいるけれど見ているわたしがいない夢もあるのではないだろうか。つまりそれは目を覚ました時に夢を忘れているということだろうか。

| J. | 2014/11/19 05:58 | URL |

ああ夢だったんだと気づいて目覚めたのも、また夢であることがありますね。
夢のなかで見る夢、夢から覚めた夢、本当に目覚めて起きてしまうと、まったく思い出せない夢も経験しますね。
人間が そういうものにわたしはなりたい という願望も夢といいますが、思索のなかの夢は持ち続けたいものですね。寝床で見る夢は生体に生理的にうながされたり、トラウマのような潜在意識が産むのかも知れないですね。
 寝床で見た夢は思い出せないことが私には多いように思います。

| 山内宥厳 | 2014/11/19 08:50 | URL |















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