東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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日暮れの墓標

眉山を
猿のようにすばやく山道を駆けめぐって
ぼくは山桃の熟す木の場所や
朝早くカブトムシが集まるところも知っていた
祖母は神様の居られるところを知っていて
岩壁の上に祠を祀っているので
そこへ参拝してから
松葉や薪を背負って山から帰って来る
今朝は山道をふさぐように
山の主のくちなわがねていたので
声をかけてまたいで通してもらった
などと話しながらご飯を炊く
竈で松葉を燃やすと
ぱちぱちはじける音がして
葉の香りが座敷にも漂ってきた

遠く東の山に日が昇り
裏山に日が落ちる

夕陽が町を煉瓦色に染める日暮れになると
ぼくは泣きじゃくるのだった

家の傍に一抱えほどの太さの
杉の木の電柱が立っていて
同じ太さの杉の木が
トの字の二画目を伸ばして地面に埋めたように
電柱のつっかい棒に使われていた
日がな
太陽を浴びていた電柱のつっかい棒に
少年のぼくが抱きつくと
電柱はあたたかくて気持ちよく
ぼくの包茎がかたくふくらんでくるのだった

電柱の傾斜に背中をもたせかけ
夕焼けを見上げていると
空想や幻想がひろがって
ぼくがいるところは巨人の腹のなかで
巨人の腹のなかには
日も月も地球も家も見えている通りの宇宙があって
そこにぼくはこうして生きている
ぼくの腹のなかにも宇宙があって
ひとびとが住んでいて
そのひとりひとりの腹のなかにも
同じように宇宙が広がっている

眼を閉じて
柱のあたたかさにうっとりしながら
ぼくは想像を広げる
この島の
どこまでも続く海岸線を
生まれてからずっと
ぼくは休むことなく歩いている
白砂を踏みしめる感触が裸足の足裏に快い
貝殻の数々
打ち上げられた海草
磐笛になる孔のあいた小石
岩礁に叩きつけられて落下する波浪
海は
死と再生の場
いのちの母胎であり
終焉の墓場でもある

海を眺め
星や月を眺め
太陽がぼくを焼き尽くすのを恋いながら
炎天下を歩いていたりもする
松原の木陰で
吹きすぎる風を受けながら
お前はなぜここにいるのか
お前はなぜお前なのか
自問するぼくがいるが
応える声はどこからも聞こえてこない

手足が凍える季節にも
日だまりのあたたかい柱は
ぼくの居場所だった
斜めの柱に抱きついて
日の温もりが伝わってくると
ぼくの包茎は勃起して
身動きのできない想像の世界へ旅だっていく

夕暮れ
電柱にそっと触れ
また来られるだろうかと思いながら
さよならをする

死んだときに
葬られる墓標が決まって居る人は幸いである
先行きが案じられてならないひとは
自分が葬られる場所をもっていないからだ
人は空に浮かぶ雲のように
あてどなく浮遊していて
明日のことも明後日のことも
たったいまの自分がだれなのかも
わかっていない

いまはなくなったあの町並み
電柱を支えていたトの字の二画目の柱も
いまはないが
ぼくがこうして目を閉じれば
あの電柱の温もりが胸にいまも残っている










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| | 23:37 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

夏の日のまどろみのなかに追う少年の日の淡い性の萌芽。
野に白い蝶を追うように。
美しい情景である。

| J. | 2014/08/13 16:47 | URL |















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