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東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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友達の木

お坊さんの話は法話というが
ぼくの話を聞いてくれるひとは
法話などとは思っていないことだろう
などと思いながら
各地で話をきいてもらっている

ひとはだれでも未知の考えを知りたがるもので
ずいぶん長い年月の人生経験を経てきても
生きるにはまだまだなにかが不足している思いがあって
未知なるものを求めるのか
道を求めるからか
未読の本に手を伸ばす

書物は人生の暗緑地帯に生える樹木で
そこに身をおくと心が安らいだりするのだろう
読書家には書物と無縁の人生など想像もつかないのだろうが
こころの糧とはいいながら
毎度のメシほど確実なものでもないのに
書物の森に身を置きたがる癖がある

鴎外は妄想という短編のなかで
読書で多くの師には会ったが主には会わなかった
と書いているが
書物はかぶれるために読むものでなく
かぶれない精神を涵養するために読むものだろう

大きな樹木
緑陰の下で読書に耽る
そういう人生ののどかさがのぞましい
ないものねだりのように
なにかを得ようとして
むさぼり読まないほうがいいのだろう
そんなことを考えながら
庭の大きなクロガシを見上げると
無数の木の葉の葉擦れの音が語りかけてくる

私はよく話しのなかで質問する
あなたには友達の木がありますかと
そんな質問をすると
たいていの人がきょとんとしている
ぼくには友達の木があちこちにたくさんある
クロガシ ユリノキ ポプラ ほかにもいっぱい
見る度に声をかけたくなる樹形のいい友達

みなさんは町を歩いていて
いい木だなと思ったら
さっそく友達になりなさい
声をかけると
友達の木は応答して元気をくれますから
などと

小学生のころ
ポプラの葉をちぎって葉をむしり
葉柄を残して
胸ポケットにいっぱいいれて
葉柄をクロスさせて切り合いをする
そんな単純な遊びを
夢中でやったりしたものだった
葉脈をむしりとるときのポプラの匂いは
いまもあざやかに覚えている

木はぼくの人生の伴侶だった
厳密には木ではなく
材木というべきだが
家具作りの職人だったぼくは
木の癖も性格も知り尽くして家具を作った
どれほどたくさんの樹木を
この手で家具にしてきたろうか

材木を扱っていても
この木がどんな立ち姿で生きていたのか
知るよしもない
材木になれば
何の木か言い当てられるのに
木の肌も葉の形も知らないでいたことに気づいて
ぼくは自分の半端さに愕然としたことがあった

ぼくは木と友達になり
共に暮らすようにもしている
今年の夏は雨がすくなく
東光寺山のユリノキはかなり葉を落としたが
友達らしい風格で立っている



th_DSCN0416.jpg

東光寺山のユリノキは10年ほど目に自生の苗をもってきてくれたひとがいて東光寺山の斜面に植えたもの。
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