東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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こころ

漱石の小説は
こころだったか心だったか
などとふとこころに浮かんで調べてみたら
こころが使われている
漢字よりもこころはかなが似合う

漢字の心は
不安定にただよう体のものでなく
決心とか
感心とか
芯がとおるものであるらしく
こころと心はまるで別物なのだろう

こころは風にながれる
雲のように
現れたり消えたり
晴れたり曇ったりする
お天気の変わる様に似ていて
デジカメの映像で切り取って残すことのできないものだ

さて私のこころは
いま那辺にあるのだろうか

いつも他人に見られているのが
わが実存ではなく
揺れ定まっていないこころのように思う

ひとはだれでも笑顔の向こうに
その瞬時のこころを覗いて
安心しているのではないだろうか

さっきから
自分のこころを
あらためて覗いてみると
ああなんていい加減なんだろうと
空っぽのような自分に気がつく

こころはだれかと向き合ったときに
こころとして動き始め
私はふだん
自分のこころのことなど自覚もなしに生きている
一匹の虫のようなものか

こころは自分そのものか
こころとは無関係に
自分というものがあり得るのだろうか

偽ったりするする自分や
こころを隠しても
すぐ見抜かれてしまう自分のこころを
たなごころにのせて
さっきから凝視めている

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こころはまぼろし

泡のように消えたり現れたりするこころのあやうさを感じるとき詩が言葉がうまれるように思います。

| kitsunenobotan | 2013/08/08 09:01 | URL |

泡のごとはるかな過去に埋もれたる母の面影詠み蘇る
哀れなる思いを寄せし諸人もこころ砕きて荒れ野を耕す

| マニス | 2013/08/10 17:21 | URL |















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