FC2ブログ

東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

詩人会議2020年4月号 小誌集山内宥厳

詩人会議2020年4月号に小詩集として五篇の詩が掲載されました。 

小詩集 山内宥厳

  
  こころ

こころが濡れた日に
また雨だ
などと思いながら
ホテルのフロントで傘を借りる
みぞれのような冷たい雨粒が
右手に吹き付けてきて
傘の柄をぎゅっとにぎる

今朝の僕は
異変が起きていて
目に映るものが
すべて逆転し
意識も体も
薄明の異界に置かれ
雲海に覆われたような冬の街衢を
タクシーが走り
その窓から
少年のぼくが僕を見詰めていて
目が合った僕は思わず
傘の柄をきつく握りしめる

傾斜した
電柱の支柱に抱きついて
ほのかな温みを腹に受けながら
お腹のなかに
宇宙が宿ってると空想した少年のぼくが
タクシーのなかから
老残の僕を見詰めている

死んでしまった多くの友や
時折り僕の寝所に現れる
死んだマニスが
ありありと感じられる冬の朝
こころにも傘をさして
僕は濡れた東京の
舗道に出かけて行く


  転 ぶ
 
踏み絵を強いられた伴天連が
棄教するのも転ぶだが
転ばずにいられる
人間などこの世にいない
釈尊も転んで
我が子をラーフラ
わが生きる妨げとの名前をつけ
森林に逃げ込み
六年もの間
彷徨い続けた
六年間の瞑想ではなく
抜けられぬ迷いこんだ迷路を彷徨した
と僕は解釈する
獣になり切れなくて
彷徨い
やっと獣の境地になった
六年の彷徨の末が佛教

僕は水道橋の交差点で
宙に舞って転んだが
もとより苦海で生まれ育って
そのままいまが在るので
これ以上にも以下にも
異界には行けそうもない
自分のどじぶりにあきれ果て
また転ぶかもと
用心もしないで
水道橋交差点を先ほど渡ってきた



  彩雲

幕引きの予感はないが
すぐ近いかも知れないのが
人の流れ
地を這うように生きて
頭を上げられないまま流れ去る
そんな姿を
行き交う他者に見たりするが
天界の鏡面には
ひとと人との
区分けなどないことだろう
地上を這う
ワームに似て
飢え渇き切らぬよう
無駄とも知らず
身を捩らせている
雲が覆う西の空から
聴こえてくるバッハのような
朱い音楽



  サラダの皿

曇天の空だが
薄雲を透かして
半月が微弱に光ってる

サラダを作って
昨日も今日も一昨日も
皿を洗う時
理念のなかでは
僕は哀れな少年で
誰ひとり声も掛けてくれず
笑顔の女が
みんな見かけとは違う心で
僕の様を
冷視してると思いこむ

だが僕は
何年間もの間
誰とも話さずに
生きて来たのだったと
サラダを作りながら
思い起こす

流された孤島には
愛し合った女の気配もなく
僕を迎え入れてくれる
円居のある家の扉も見当たらず
白く塗られた机と椅子が
座ることを拒否するように
置かれている

夢想よ
お前はなぜ
僕の夢想を多数の絵具で
塗りつぶすのか

サラダの皿は
空になって
僕に洗われるのを
待っている



  ころも

衣と書いてころもと読むが
ころもを着るのは坊主で
ぼくらのは着物や服で
衣にはあらずと思ってきた
十二単衣などという着るものもあって
古代の女性が正装に着たらしいが
令和の即位式に
皇后が身に纏っていたのも
それだったとニュースで聴いた気がする
若い時は
天から何かが下りてきて
与えてくれることが多いが
人が晩年になると
天から下りてきた何かが
人間から持ってるものを吸い取っていく
寒い今朝
出掛けようとしてコートを探したが
いつものが見当たらない
お坊さんの衣風のコートがあって
これを身に纏う
ボタンをかけ違ったような気分だが
僕はお坊さんなのだ
などと思いながら袖を通し
トルコ映画を観るために
天気晴朗の空へ出掛けて行く
関連記事
スポンサーサイト



| | 05:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑















非公開コメント

http://iwaresantokoji.blog.fc2.com/tb.php/192-5412aa26

| PAGE-SELECT | NEXT