東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

2016年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年11月

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インドの波風

インドから
零が広がった

零は
中国で空と訳されたとか
日本人は
無常なる感覚を空ととらえ
非情なるものから虐げられたり
苦から逃れんものと
運命の儚さを衣にまとって
隠遁のため
出家をする人もいた

人生は苦であるというが
根本の苦は生老病死なのか

問うが
生まれたときの痛苦の自覚があるか

覚えているひとはいない
生の苦は
自覚しないので僕は否定する

老の苦しみは
介護される日本人のあり方で証明できる

病の苦しみも
目の当たりにする苦の実態である

死は
避けたいものとして
想像のなかに
あるだけのものでしかない

臨死体験などは
死ではない

死の苦を体験してきたひとは
ひとりもいない

生老病死を四苦というのは
まぎれもなく俗説で
人生は二苦なのであろう

生きるとは
生老病死四苦八苦
伝えられてきた無数の教えを
生きて検証しつつ
通念をそぎ落として
自分の思考を巡らすにある

など考えつつ
身についた行住坐臥を
今日も生きる

manari
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紅の記憶

昨日の続きのように
今日を生きる

一昨日の続きのように
昨日も生きた

先週の今日のように
先月の今日のように
去年の今日のように
今日を生きる

もしかすると
日々新しく生まれ変わり
昨日にはいなかったぼくが
今日をいきているのかも知れない

いつも
哲学や
文学や
宗教のよりどころのなさについて
論じ合っていたひととの間に
紙切れほどの壁ができて
二人は
地球の裏と表に行ってしまう

ぼくは
昨日も今朝も
それが一昨日だったか
去年のことだったか
思い出せもしない
はるかの過去の出来事のように
山脈をバックに
稲穂が揺れ
段落のある田園に
狂乱のさまで
阿鼻叫喚をあげるかのように咲いていた
曼珠沙華のくれないを
思い出している



IMG_5586.jpg










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