東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

2016年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年03月

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樹の老婆

樹の老婆

彼女は永遠の時間を使い果たそうとしていた
剥がれた枯葉の下に埋もれている骨の樹
あの時に見たのが最後だったかもしれない
彼女は老婆のまま
ぼくの脳裡を浮遊している

深く刻まれた皺は
顔から胸へと
こわばった皮を手繰る
彼女はぼくのおばあさん
九人の子を産んだ
泣きわめく子に飲ませた乳房は
今や 枯れた糸瓜
左右の長さが違ったまま
ぶら下がっている
かつて 彼女のスカートの下に
輝く天使がいたなんて
天国を信じる幼児でも
思いつかない

時は流れ 水は凍る
だれが彼女を想うのか
だれが彼女を悲しむのか
もうすぐぼくは黄泉に行こうとしている
天使は両手をひろげ
ぼくを抱きとめてくれるだろう


rainbow.jpg

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鏡と頭

ほんものの
自分の顔は
だれも見ることが出来ない

マックのパソコンでは
photo boothというソフトで
自分の顔と向かいあうことが出来る
立ち上げると
これが己かと思う顔が
僕を見つめている

自己嫌悪にかかりたければ鏡を見よ
などとニーチェは言ったりしなかったが
己の顔に見惚れるような
ナルキッソスでも無い限り
鏡は冷酷にありのままの自分を
見せてくれる

ジキルとハイドではないが
人間には
頭のなかにいる自分と
生身の自分とのふたつが
矛盾無く生きていて
頭のなかの
作り上げた仮想の自分が
ずれも自覚しないまま
毎日を
疑念も抱かず
生きて
動いて
いるのかも知れない

部屋に飼っている
小鉢のなかの
メダカに
視線を走らせたりしながら
MacAirで
さきほどちらっと見た自分の
自分ならぬ顔を思いだし
こんなことを書いている

痛む足の指先
冷える手足
昨夜剃ったのに
もう伸びてきた無精ひげ
ああいやだ
などと独りごちながら
夕方がくるのを
見上げている

すこし散歩にでかけよう
この気に食わぬ顔のままで
文庫本の背表紙でも眺めて
気分を変えてきましょう


IMG_0304 (1)


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