東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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折れた日

太陽の軌跡を頭上に受け
朝が来て
夕方がやってくる
陽は眉山の後ろに沈んでいくが
日暮れて
暗闇にくるまれると
わけもわからず
こどもは涙をながす

今日はあるが
昨日も明日もない
一昨日とか明後日などという自覚もない
来る日
去る日を
ただ生きていただけではないか
こどもというのは
そういうものではなかったか

日常というものが
異常にかわった
大きな戦争になったことも
不思議とも思わず
隣の家の
顔だけ知っていた兄ちゃんが
海軍で戦死したと聞かされても
白いエプロン姿の
そのお母さんが人目を忍んで泣いているのも
こどものこころには
不思議のひとつでしかない

なにが
どのように
流れているのか
時代は
なにを企んで
大人達を家庭から奪い去っていくのか
日が昇って
西空に沈んでいく時の流れに
こどもは身をまかせているだけだ

小学校が
国民学校と呼ばれるようになって
こどもは入学した

いちばん背の低いこども
五十人の級の
小さい順の真ん前に並ばされて
校長の入学式の訓示を聞かされる

講堂の正面には
左右に開く扉があって
重々しく開かれると
勲章やら飾り紐だらけの
中年男とその夫人
御真影が生徒を見下ろしていた

禮と号令をかけられて
腰を曲げて
深々と四十五度に遙拝させられる

校庭の朝礼では
東向け
と号令を掛けられて
はるか東京の二重橋の向こうに住む
御真影の生き神さまに遙拝した

式があるたびに
聞かされる教育勅語
朕思ふに云々を聞きながら
こどもは
御真影はただの写真だし
神様だっていうが
あの人は糞はしないのだろうか
どう見たって人間なんだから
糞だって
おしっこだってするはずだと
あのズボンをずりさげて
座っている御真影を想像していた

戦争の推移は
大本営がラジオで発表した
負けを知らない大本営は
夜毎ボンバー29が飛来してきて
日本の都市を焼き払っても
日本は神の国だから
神風が吹いて
野蛮なる米英鬼畜は
一気に殲滅する時がやってくる

食い物も乏しいこどもも親も
神風が吹けば解決する
それまでの辛抱なのだと
飛来するB29の爆音が通り過ぎるのを
怯えながら待っている

わが町に爆撃があって
町が灰燼と化し
広島に新爆弾が落とされて
その威力が喧伝され
いままでの防空壕なんかでは
とても家族は守れない
そういう情報が
大本営でないところから伝聞され
こどもの親は
新爆弾に耐えうる壕を作るべく
晴れた8月の朝から
鶴嘴とスコップで壕作りに取りかかった

父が朝から頑張って
大人の背丈ほども掘り進めたとき
こどもは父に質問した

 でもこの穴の真上にもし新爆弾が落ちたら
 助からないのじゃない

父の癇癪が爆発した

 お前はそんな目に遭いたいのか

汗を拭うためにバケツに汲んであった水を
父はこどもに頭からぶちまけた

昼頃に玉音放送があった
雑音が混じって
なにを言ってるのかよく分からなかったが
御真影の男の声だとこどもは理解した

戦争が終わったんだよ
と母がつぶやいた
父は掘っていた壕を埋め戻した

焼け残った我が家の向こう
町は廃墟になっていて
焼けて赤くなった瓦と壁の
盛り上がった地面には
ところどころ
雑草が芽を吹いている
八月十五日
雲ひとつない蒼空だった


日没の東光寺裏山


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日暮れの墓標

眉山を
猿のようにすばやく山道を駆けめぐって
ぼくは山桃の熟す木の場所や
朝早くカブトムシが集まるところも知っていた
祖母は神様の居られるところを知っていて
岩壁の上に祠を祀っているので
そこへ参拝してから
松葉や薪を背負って山から帰って来る
今朝は山道をふさぐように
山の主のくちなわがねていたので
声をかけてまたいで通してもらった
などと話しながらご飯を炊く
竈で松葉を燃やすと
ぱちぱちはじける音がして
葉の香りが座敷にも漂ってきた

遠く東の山に日が昇り
裏山に日が落ちる

夕陽が町を煉瓦色に染める日暮れになると
ぼくは泣きじゃくるのだった

家の傍に一抱えほどの太さの
杉の木の電柱が立っていて
同じ太さの杉の木が
トの字の二画目を伸ばして地面に埋めたように
電柱のつっかい棒に使われていた
日がな
太陽を浴びていた電柱のつっかい棒に
少年のぼくが抱きつくと
電柱はあたたかくて気持ちよく
ぼくの包茎がかたくふくらんでくるのだった

電柱の傾斜に背中をもたせかけ
夕焼けを見上げていると
空想や幻想がひろがって
ぼくがいるところは巨人の腹のなかで
巨人の腹のなかには
日も月も地球も家も見えている通りの宇宙があって
そこにぼくはこうして生きている
ぼくの腹のなかにも宇宙があって
ひとびとが住んでいて
そのひとりひとりの腹のなかにも
同じように宇宙が広がっている

眼を閉じて
柱のあたたかさにうっとりしながら
ぼくは想像を広げる
この島の
どこまでも続く海岸線を
生まれてからずっと
ぼくは休むことなく歩いている
白砂を踏みしめる感触が裸足の足裏に快い
貝殻の数々
打ち上げられた海草
磐笛になる孔のあいた小石
岩礁に叩きつけられて落下する波浪
海は
死と再生の場
いのちの母胎であり
終焉の墓場でもある

海を眺め
星や月を眺め
太陽がぼくを焼き尽くすのを恋いながら
炎天下を歩いていたりもする
松原の木陰で
吹きすぎる風を受けながら
お前はなぜここにいるのか
お前はなぜお前なのか
自問するぼくがいるが
応える声はどこからも聞こえてこない

手足が凍える季節にも
日だまりのあたたかい柱は
ぼくの居場所だった
斜めの柱に抱きついて
日の温もりが伝わってくると
ぼくの包茎は勃起して
身動きのできない想像の世界へ旅だっていく

夕暮れ
電柱にそっと触れ
また来られるだろうかと思いながら
さよならをする

死んだときに
葬られる墓標が決まって居る人は幸いである
先行きが案じられてならないひとは
自分が葬られる場所をもっていないからだ
人は空に浮かぶ雲のように
あてどなく浮遊していて
明日のことも明後日のことも
たったいまの自分がだれなのかも
わかっていない

いまはなくなったあの町並み
電柱を支えていたトの字の二画目の柱も
いまはないが
ぼくがこうして目を閉じれば
あの電柱の温もりが胸にいまも残っている










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