東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

2013年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年10月

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友達の木

お坊さんの話は法話というが
ぼくの話を聞いてくれるひとは
法話などとは思っていないことだろう
などと思いながら
各地で話をきいてもらっている

ひとはだれでも未知の考えを知りたがるもので
ずいぶん長い年月の人生経験を経てきても
生きるにはまだまだなにかが不足している思いがあって
未知なるものを求めるのか
道を求めるからか
未読の本に手を伸ばす

書物は人生の暗緑地帯に生える樹木で
そこに身をおくと心が安らいだりするのだろう
読書家には書物と無縁の人生など想像もつかないのだろうが
こころの糧とはいいながら
毎度のメシほど確実なものでもないのに
書物の森に身を置きたがる癖がある

鴎外は妄想という短編のなかで
読書で多くの師には会ったが主には会わなかった
と書いているが
書物はかぶれるために読むものでなく
かぶれない精神を涵養するために読むものだろう

大きな樹木
緑陰の下で読書に耽る
そういう人生ののどかさがのぞましい
ないものねだりのように
なにかを得ようとして
むさぼり読まないほうがいいのだろう
そんなことを考えながら
庭の大きなクロガシを見上げると
無数の木の葉の葉擦れの音が語りかけてくる

私はよく話しのなかで質問する
あなたには友達の木がありますかと
そんな質問をすると
たいていの人がきょとんとしている
ぼくには友達の木があちこちにたくさんある
クロガシ ユリノキ ポプラ ほかにもいっぱい
見る度に声をかけたくなる樹形のいい友達

みなさんは町を歩いていて
いい木だなと思ったら
さっそく友達になりなさい
声をかけると
友達の木は応答して元気をくれますから
などと

小学生のころ
ポプラの葉をちぎって葉をむしり
葉柄を残して
胸ポケットにいっぱいいれて
葉柄をクロスさせて切り合いをする
そんな単純な遊びを
夢中でやったりしたものだった
葉脈をむしりとるときのポプラの匂いは
いまもあざやかに覚えている

木はぼくの人生の伴侶だった
厳密には木ではなく
材木というべきだが
家具作りの職人だったぼくは
木の癖も性格も知り尽くして家具を作った
どれほどたくさんの樹木を
この手で家具にしてきたろうか

材木を扱っていても
この木がどんな立ち姿で生きていたのか
知るよしもない
材木になれば
何の木か言い当てられるのに
木の肌も葉の形も知らないでいたことに気づいて
ぼくは自分の半端さに愕然としたことがあった

ぼくは木と友達になり
共に暮らすようにもしている
今年の夏は雨がすくなく
東光寺山のユリノキはかなり葉を落としたが
友達らしい風格で立っている



th_DSCN0416.jpg

東光寺山のユリノキは10年ほど目に自生の苗をもってきてくれたひとがいて東光寺山の斜面に植えたもの。
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| 東光寺山博物誌 | 12:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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月に書く

十五夜と満月には区別があると
新幹線のなかで昨夜の満月を眺めながら
ネットで知った

姫路を通過する頃に
地平ちかくに浮かんだ月を
iPhoneでややズームに撮影して
フェイスブックに送った

美濃平野を走る頃
暗くなった山の向こうに
姿を現した月はいっそう明るく
iPhoneを向けてみたが
車内の明かりが窓ガラスに反映して月は写せない

すぐレンズを向けたがる悪趣味をやめて
じっと満月を眺めていると
いつしか惹きこまれて
月輪観をしている自分に気づいた

阿字観ともいうが
密教の瞑想だ

ぼくはこどもの頃から
よく大空に字を書いて遊んだが
新幹線の車内から
満月をキャンバスに阿字を書いた

月は妖しいのか
やさしいのか
満月にはなにかが起こるという説もあるが
阿字を書いた私の満月は
今朝になっても
まだ胸に輝いている




fullmoon.jpg

| | 09:51 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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嵐去って

年を取ると
予定よりも早く出かけたりして
着いた先で時間を持て余したりするが
僕は年を取る前から
早めに家を出るのは性格のせいだろう
間に合うかななどと案じながら行動するなんてことは
あり得ない
今日は予約の45分前に新大阪駅に着いたので
待合室でこれを書き始めた
トンネルに入る度に
通信の途切れる山陽新幹線から発信する

先週の嵐で
東光寺山に吹きつけた北の強風が
台所のブリキ屋根を捲りあげた
被害は軽かったが
可成り屋根のブリキも草臥れていて
源ちゃんは今朝
この際葺き替えましょうかという
では近々ということになり
本堂への石段に行く

枇杷の木と隣り合っている
太い木が
強風で根っ子が浮き上がり
道場の門扉の方に25度に倒れ
金木犀に凭れていた
自分では手に負えないので
源ちゃんに来てもらったのだ

揺すってもびくともしない倒木に
チェーンソーを持って
源ちゃんは細い方に歩いていった
幹先から根元へと
エンジンが唸るたびに
金木犀の隙間からどさっと
あるいはばらばらと落ちてきた
僕は下で待ち受けて
枝切り鋏で分枝を切り
葉っぱのついた枝を小さく股ざきにして
斜面にすてていく
小さくバラして捨てることは
山仕事の基本ですと辻田さんに教わって
以来教えを守って伸びすぎた樹木の管理をしているが
なるほどとうなづくほど
払った枝葉が嵩張らずすっきりと片付いていく

指物の修業中に
段取りについて
父から厳しく言われたことを思いだす
二度手間をしないこと
手間をかけすぎないこと
見えない所から綺麗な仕事をすれば
仕事はすっきり仕上がること
普段の整理整頓が
能率を高めるのだ、、、
云云を思い出す

ぼくの人生もかなり西陽に翳ってきたが
親父の忠言は
身につかぬまま
生きてしまったかも知れない

嵐が通り過ぎて
枝葉が散乱している東光寺山へ帰ってきた時
そんな思いがよぎりながら
パン作りで疲れた足で
枯れ枝を乗り越えて庫裏へ戻ってきた
マニス帰ったよと
暗闇に語りかけながら




genchan


源ちゃんは、夫妻そろって短歌誌「どうだん」の仲間でもあり、短歌を発表している。






| | 16:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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沖縄へ

日本航空123便墜落事故
御巣鷹山にジャンボ機が墜ちた年の秋
国際通りのジャンジャンという劇場へ
浜崎満主演のひとり芝居をもって
ぼくらは沖縄に出かけた

旅は
長い人生のなかの
いくつもの節目
旅があって
かわってゆく人生があらわれる

仮説が伝説に変わるとき鬼百合は散った
という長い題名の芝居で
いまはなき
中島陸郎のペンネームによる書き下ろし戯曲だった

演出のぼくは
生演奏の音楽スタッフ11名と
同行の友人の詩人など
総勢15名ほどで出かけていった

三日間の公演で入った観客は10名ほど
空っぽの客席に向かって
音楽11名と俳優1人の芝居を熱演した
忘れてならないのは
なべさんの作った
ゆりと言う名前の人形も登場した
真っ白なからだに長い黒髪の人形は鬼百合の化身として
リモコンの車に乗って
下手からゆっくり舞台を経巡った

大阪のオレンジルームの公演のあと
沖縄でも公演をする企画だったが
地元の新聞にちいさな記事がでただけで
宣伝も行き届かず
がら空きも当然だった

大阪の照明を担当したした人の婚約者が
墜落した飛行機に乗っていて犠牲になったこともあって
照明家は沖縄へは来なかったが
ジャンジャンの若いふたりのスタッフが
てきぱきと気持ちよくこなしてくれた

国際通りは
終夜にぎわっていて
どこから沸いてでてくるのか
ぎらっとした若者たちが
全身にエネルギーを溜め込んで
空気のようにたむろしていた
基地の島の
ものいわぬくぐもったエネルギーが
渦巻いていると思われた

じもとのひとが
もういらない
といっても
だいきらいだといっても
めいわくだとこえをおおきくしても
このしまにねをおろしてくびねっこをつかみ
へいぜんといすわって
うごかないきち
にほんのこっかも
ほんどのどのとどうふけんも
このしまのきちのことは
みないふりして
はんたいうんどうもほうどうせず
こうたいするともけっしていわない
そういうむりょくなにんげんのぼくもひとりだ

そんな思い出と
基地のある沖縄へ
一人芝居と
楽健法を伝えるために
八月に出かけることになった

がらんどうは歌う
この芝居に
ぼくの人生の終わらない戦争がつまっていて
いまなお苦悩のなかにいて
ぼくは語りかける
人生は過酷な
触れることのかなわない不毛の原野
そこに置かれて
逃げ出すこともならず
そこから出発するしかない荒野のことを
ぼくは語る

そこにしか生きられないひとりの人間が
そうと気づいても
なにもできない人間が
がらんどうの原野のことを
暗闇のこころにむかって語りはじめる

旅はいつも途上で
死んでしまっても終わることはないのだろう


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