東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

2013年07月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年09月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

猫の一族

本堂に入り込んだ猫のことを書いたが
扉の隙間を小さくするのは
共生浄土に反するのでは
と疑問を呈する友人がいた

毛だらけの座布団に
猫と交互に正座する気にはなれないので
入れないようにするのは
致し方あるまい

たかが猫と思うなかれ
マニスがやってくるすこし前のことだったが
やはり三寸ほど開けてあった隙間から
本堂に入り込んだ猫の一族があったのだ

早朝の勤行をしようと
本堂に入ると
須弥壇に
作り物の招き猫を並べたみたいに
真っ白の猫が七匹
横一列に並んでぼくを見詰めていた
真ん中が親猫で
両側に三匹づつ並んで
身動きもせずにいた

あっと息を呑んだが
黙って経机の前に座って
塗香を使い
印を結び
勤行の鐘をゴーンと鳴らすと
七匹の猫が一斉に宙に浮いて
四方八方へと飛び去って
なかには扉に飛びつく奴もいたが
狭い隙間から
数秒のうちに姿を消した

その慌てふためきぶりには
笑わずにはいられなかったが
なんだか気の毒なことをした気持ちもして
並んでいた真っ白な猫の一族は
本当にいたんだろうかと
奇妙な夢でも見たような気がした

それから間もなく
真っ黒の子猫を連れてきたひとがいて
山のなかの一人暮らし
猫一匹と暮らせないはずもあるまいと
一緒に暮らし始めた
それがいまは亡きマニス・ノアール
一九九一年の春のできごとだった

th_DSCF2786.jpg

















スポンサーサイト

| 未分類 | 21:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

ちいさな隙間

本堂の大日如来は
東を向いて結跏趺坐
こどものときにときどきやって遊んだ
忍術使いになってドロンと姿を消すときの
智拳印という印を結んで
荘厳な面持ちで鎮座している

ぼくがマニスと暮らし始めたころ
朝の勤行の時間がくると
マニスは大日如来の結跏趺坐の膝に乗って
ぼくを見下ろしながら理趣経に時折耳を動かしていた

おととい泊まり客があって
朝の勤行に本堂に入ると
いつも敷いてある座布団に
獣の毛がいっぱいくっついていた

本堂の正面の扉を
三寸ほど開けててあるのは
参拝のひとが
覗けば大日如来のお顔が見えるようにだが
時どき出会うあいつが
出入り口にするとは思わなかった
ここで幾日か安眠したにちがいない

痩せこけた虎模様の猫で
不意に遭遇しても
あわてて逃げないで
距離をおいてぼくを観察したりする

昨日は寄ってくるかと呼んでみたが
信ずるに足りないという風に
きびすを返して逃げてった

毛だらけの座布団に
掃除機を持ってきて吸い取ったが
かつてはマニスの大好きな場所だったところには
近寄った気配はない

見下ろしている
ブロンズの少女像を
猫は見上げたかどうか

ぼくが沖縄へ旅をして
帰ってくるまでの数日を
本堂に入って座布団に眠っていた猫がいたことを
ぼくは微苦笑しながら納得した

でもここで
やつに暮らすつもりになられてはかなわない

本堂の扉の隙間を
ネズミなら通れそうなほどに
ぼくはちいさく閉めなおした


th_P1030222.jpg






| 未分類 | 17:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

共生浄土

お盆には
東光寺のただ一軒だけの檀家さんに
今朝ほどお参りしてきた

八月はパン工房もお休みにするので
開腹手術からかなり立ち直ってきた家内も
暑いから止したらというのに
昨日ほど蒸し暑くないし
木陰だから掃除が気持ちがいいなどといって
庭の枯れ葉を掃き集めている

朝には
玄関の外灯を目指して
カブトムシが飛んできて群れていたりすることもあって
それを目当てに
東光寺山へあがってくる子供たちもいる

昨夜は座敷へ痩せたトンボが飛来してきて
コサナエトンボだと思うが
ひとしきり部屋を飛翔してから
見えなくなった

寝ようかと思って
布団に横になったら
にぎやかな羽音がして
熊蝉が枕元に置いてある碁盤に止まった

これはいかんと
素手で捕まえると
蝉の声で大騒ぎをした
そっと廊下の網戸を開けて放すと
ジッツーとなきながら闇夜に飛び立った

布団に横たわってしばらくすると
台所に何かが落ちる音がして
羽音がやかましい
また電気をつけてしらべてみると
雌のカブトムシが
仰向きになってもがいている
こいつは起き上がれないんだよなと思いながら
手で掴もうとすると
手足の棘が痛くて素手では敵わない
台所のおたまで掬って闇夜の庭に出してやった

目覚めて
台所の明かりをつけると
昨夜のトンボが
蛍光灯の端っこに止まって眠っている
こんなふうにトンボが眠ることを教えてくれたのは母で
ぼくが五歳のころ
目まいをさせてトンボを捕まえようと
人差し指をぐるぐる右に回しながら
トンボに近寄っているぼくを見て
通りかかった母が
眠ってるんだからそんなことしなくてもといいながら
ほら!と造作なく捕まえてくれた

今朝のトンボも熟睡しているらしく
羽をもって捕まえても動きもしない
脚に触れると
にわかにじたばたした
網戸のそとに放してやって
今日のいちにちがはじまった

檀家にお参り
帰ってから
床の間の生け花を眺めながら
ゆりのきのお香を聞く
山帰来は水切りなどしなくても
けっこう長持ちで
なまけものの生け花には似合ってる



sankirai

| 東光寺山博物誌 | 12:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

こころ

漱石の小説は
こころだったか心だったか
などとふとこころに浮かんで調べてみたら
こころが使われている
漢字よりもこころはかなが似合う

漢字の心は
不安定にただよう体のものでなく
決心とか
感心とか
芯がとおるものであるらしく
こころと心はまるで別物なのだろう

こころは風にながれる
雲のように
現れたり消えたり
晴れたり曇ったりする
お天気の変わる様に似ていて
デジカメの映像で切り取って残すことのできないものだ

さて私のこころは
いま那辺にあるのだろうか

いつも他人に見られているのが
わが実存ではなく
揺れ定まっていないこころのように思う

ひとはだれでも笑顔の向こうに
その瞬時のこころを覗いて
安心しているのではないだろうか

さっきから
自分のこころを
あらためて覗いてみると
ああなんていい加減なんだろうと
空っぽのような自分に気がつく

こころはだれかと向き合ったときに
こころとして動き始め
私はふだん
自分のこころのことなど自覚もなしに生きている
一匹の虫のようなものか

こころは自分そのものか
こころとは無関係に
自分というものがあり得るのだろうか

偽ったりするする自分や
こころを隠しても
すぐ見抜かれてしまう自分のこころを
たなごころにのせて
さっきから凝視めている

DSCF3344.jpg

| | 04:03 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。