東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

2013年06月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年08月

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原野

なべての源は
荒れ野にあって
人はそこからはじまる

ぼくはそこを原野と呼んであこがれた
無は荒れ野か
群衆の屯する都会こそ荒れ野であって
無きかに見える原野にこそ
すべてがあるのだろう

荒れ野に育つ不信
それなくしては発芽しない詩
虚無の原野から自生するもの

考えるすべも
書くすべも覚えた虚無のひとは
荒れ野にしか憩えない

無数にあって滅多にないもの
そんな原野を
いまも歩んでいて
やがて小暗き森にさしかかる

詩は
こころに小暗き森をもつひとが書く

暗闇の向こうにあるものは
とっくに見透かしていて
見えないものに哀しむのではなく
見えることの哀しみが
すべてを超えている

眼を閉じて森のなかに佇つ
詩は足下から
胸に
悪寒のように這い上がり
両の目から
液体となって
したたり落ちてくる

forest.jpg


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目高めだかメダカ 

目高と書けば
なんだか違う

めだか
目高
メダカ

メダカと書くのが
いちばんいい

おととし夏の七夕に
商店街に並んだ露店で
小さな白いメダカを買った

普通のメダカはなつかしいが
シロメダカは白っぽくて
なんだかメダカっぽくないぞ
そう思いながら
蛙3匹が居着いている
水草の火鉢池
七夕のころ白い水中花が可憐に咲く
直径40高さ26センチ
30リットルほどの水面に
11尾を放してやると
たちまち水草に潜り込んだ

メダカが生きるには
十分かも知れない火鉢池
餌は
水草や
孑孑なんかで足りるだろうと
以来なんにも与えてはいない

通るたびに
観察は怠らないが
一尾か二尾が
ときおり白い姿をちらりと見せる
たまに数尾の姿を見たが
みんなが元気でいるのかどうか
横から見ないのでわからない

やがて
寒い季節がやってきて
それからは
姿を見せるのは一尾だけになった

生き残ったのは一尾だけなのか
ぼくはそう思い込んで
餌もやらないでいたんだからと
なんだかいけないことをした気持ちになった

七月に入って
水草の白い花が数輪ひらき
水中でも咲いている
ぼくはiPhoneをもって
火鉢池をよく見ると
孑孑よりちいさなメダカが
画面を横切った
五ミリに満たないメダカ
五センチ足らずの親メダカの
尾びれにも足りない小さないのちが
親にも負けないすばやさで
影を感じて瞬時に走る

蚊に刺されるのも忘れて
ぼくはメダカの児に見惚れてた
魚は卵をたくさん産むだろうから
かなりの家族になってるはずだ
メダカの学校がまもなくはじまるな
なんて考えていた

その夜
夢を見た
庫裏の
机の上に
蜂蜜の大きな瓶が置いてあって
水草が浮き
昼間のちいさなメダカが一尾
泳いでる
あごを机に乗せて
メダカと見つめあってる
こどものぼくがそこにいた
だれがこんな瓶に閉じこめたのか
あそこに返してやらなくては

そこで目覚めて
火鉢池を見にいったら
大小まじえて
数尾のメダカのきょうだいたちが
たわむれて
かくれんぼでもするかのように
走り回っていた



IMG_1638.jpg

| 東光寺山博物誌 | 12:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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