東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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満ちる

 満ちる

隔月ごとに
どうだんという短歌の雑誌に
十首の短歌を出している

四半世紀まえ
来年は五十歳になろうとした年に
高野山へ修行に行った

連載していた光の海という自伝的な原稿の
数回分を書いて渡し
俗世から訣別した気持ちを持して
小さなバッグをひとつ
衣を包んだ風呂敷をさげて真別所の門をくぐった

大学ノートの白い日記帳を開く
普段は継続できたことのない作業だが
自分がどこへ向かうのか
確認のためもあって
伝授阿闍梨から受け取った教えの記録と
残してきた下界への思いのたけも
書きつらねることとした

目を閉じれば
見えてくるもの
思えばあふれそうになる積み重ねてきた日々
だが全うせずばなるまい

白衣を着て墨染めを重ね黄色の袈裟をまとう
白足袋を履き
左手に数珠をかけ
道場へと向かう

下界では桜が満開だが
弥勒峠に隔てられたこの道場には
しんしんと冷えが居座っていて
早朝には零度をきった
手足には霜焼け

四度加行に入ると
霜焼けの痒みや
長時間の正座で皮膚が破れ
足に空いた穴から流れ出す体液にも
じっと耐えて行に励む

しびれや冷えてくる身体の感覚もどこかへ失せて
念珠を繰りながら真言を唱える
時には
死んだはずの父や母がありありと見えたりする
そんな時空を超えて
からだに自覚がもどると
冴えた感覚が杜の遠くで鳴く小鳥の声を捉えたりする

自室にもどって数分の時間に
日記を書く
今日したことの記録と
してきたことの思い出などを

どうして過ごしているだろうかあのひとは
閉じた目のなかで思い浮かべる姿ははるかに遠い

手の届かないものに向かって
手を伸ばしていくのが修行なのか
行きつ戻りつする思考を
詠んでみる

 身はひとつ思ひははるか天がける
      縁あるひとまだ見ぬあした


あれからの一瞬にも思える長い日々
私は喜寿を迎えたが
真別所で書いた数冊の日記に向かったような
緊迫した日々はなく
多忙な日々を送り迎えながら
その日々を短歌に詠んだりしている

 大和路の没日の下に佇みて
      光の海に溶けてゆくわれ

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