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東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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紅の記憶

昨日の続きのように
今日を生きる

一昨日の続きのように
昨日も生きた

先週の今日のように
先月の今日のように
去年の今日のように
今日を生きる

もしかすると
日々新しく生まれ変わり
昨日にはいなかったぼくが
今日をいきているのかも知れない

いつも
哲学や
文学や
宗教のよりどころのなさについて
論じ合っていたひととの間に
紙切れほどの壁ができて
二人は
地球の裏と表に行ってしまう

ぼくは
昨日も今朝も
それが一昨日だったか
去年のことだったか
思い出せもしない
はるかの過去の出来事のように
山脈をバックに
稲穂が揺れ
段落のある田園に
狂乱のさまで
阿鼻叫喚をあげるかのように咲いていた
曼珠沙華のくれないを
思い出している



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哀しき夕景

ひとが夕暮れを眺めて
佇立するとき
流れさった
木の葉を追うように
思いが渦巻き
片鱗のような過ぎ来し方が
両の肩に
陰を落としている

子供のころに
電柱の支柱にもたれて
母の呼ぶ声を無視しながら
ぼくは夢想した

ぼくのいるこの場所は
きっと巨人のおなかの中で
巨人のおなかの中には
太陽が輝き
大地も海もあって
人や動物が棲んでいる

この僕のおなかの中にも
太陽も月も大地も海もあって
ここには
僕と同じ名前の子供が
母に呼ばれていることだろう

そんな夢想に耽りながら
夕方がやって来て
夜の帳が下りることが無性に悲しく
ぼくは
もたれている電柱に
太陽の暖かさが残っているのを
抱きしめて涙した

いっぱしの読書家になって
ぼくのおなかのなかの宇宙は消えてしまったが
世界は
ぼくの思念のなかで
宇宙大に広がって
宗教だの
哲学だのと
過ぎ去る刻にとっては無縁のことを
いまも考え続けている

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誰かが笑うとき

打ちひしがれて
手も足も出せないときがあった

誰かの話す
ふだんの言葉が
針をふくんで
聞こえてきたりする

くらい気分のときには
神はどこにもいないと思ってる
自分なんか
ここにいなくてもいいんだなどと
思ってるのだ

父が狂ったのは
それを母が支え続けて
バーンアウトして逝ったのは
くらい笑顔のない戦争の時代に
翻弄されつづけたからだ

だれかが笑っている
狂った父は
笑ったりはしない
笑わない父をもった
こどもたちも
笑ったりはしない

だれもが
笑いを持っている
僕たちの家族のそとでは
だれもが笑いを持っている

笑いには
いろいろな色がある
色には
希望がかがやいている
色には
朝の色と夕べの色がある

がらんどうは歌う
まもなく演じる芝居のことを
思いながら
ぼくは執拗な思念にとりつかれ
若い日に読んだ
アーネスト・ドウソンの
メランコリーインディード
などということばをつぶやいたりしている


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ネパールにはロクタという植物で作られた手漉きの紙があって、私はネパールへはじめて行った50年ほど前から購入して愛用してきた。楽健法の允許状もこのネパール和紙とでも呼びたい手漉き紙に書いている。

3年前にネパールへ行ったときにも購入してきたが、残りが少なくなったので、ネパールの寅吉さんに頼んで送ってもらった。買う度に風合いも違っているが、今日四つ切りにして即興詩を書いてみた。

http://nbazaro.org/vlnews/vl30/vl30_tokushu.html ロクタ紙

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| | 18:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伝説 (ソネット)

信仰にも哲学にも疲れ果てた旅人が巡るのは
思索のなかに輪廻するこの世とあの世
深く果てなき闇の迷路を
辿ってきた今日までの己が足跡か

人が冀う幸福は何処かにあったか
父の手母の手祖父の手祖母の手
そのまた親たちの手が掴んだ幸福は
路傍の石ころのごとく誰も顧みない

たった一度っきりの
与えられた巡礼のいのちの今日
他者を見る疲れたその目に光るもの

どこかで選択が間違っていたのだろう
真に生きるべき時代の時空を超えて
この星にいま生きる無力な旅人の一人であることは

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| | 19:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鶏鳴 (ソネット)

乳房のある鶏が
午後の陽差しを受けて
書棚に光ってる
ものうい五月

焼きしめた
テラコッタの鶏
大阪万博の頃に
僕が手びねりした

歩いて転んで
叫んで
泣いて

八十路になって
来し方を通覧していると
底のほうから鶏鳴が聞こえる


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観自在 動自在

窯からだすと
パンの花が開いて
甘やかな香りが立ち
食パンの頂は
外気に触れてぱちぱちと
はじける音をだす

二時半に起床
三時から捏ね始めたパン生地は
二時間後に膨らみ
作業台に取り出して
手製のアクリルスケッパーで分割する

五十グラムのプチパン
三五〇グラムの食パンなど
七種類のパン
およそ八百個のパンを
整形し
二次発酵し
窯に入れて焼き上げる

パンを作りはじめた
昭和49年春から
なんと長い時間
パン作りに精出してきたことか

リンゴ
にんじん
長芋
ごはん
砂糖

冷蔵庫で休んでいるスターターのパン種

今日も間もなく
パン工房へ出かけて
手慣れたパン種作りの仕込みにかかる

私はこのところ
親鸞が如何に生きたか
と言うことに惹かれて
親鸞の書物や
伝記を紐解きながら
パン作りや
楽健法を世に広めんと
パソコンに向かったりしている

ひとは好きなように
生きられるわけではないが
わが道程を振り返ると
一つの星を見失わないように
持続した意志を貫いてきた
貫いてこられたのだと
振り返る

観じることから
自在に動くこと

観自在
動自在

などと理屈っぽいことも考えるが
体解した諸々の技は
観と動は一つになってると観じる

はてさて
またいまからパン作りだ


 

ぱちぱちとクラッシュ入る音がして食パン生まれた産声ぞする



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切れる

過ぎ越し刻を追想する
逆走する思念
近づいてくるその刻の予感
じわっと湿気のように浮遊し
枯れ始めた躯の皮膚を
なにかが這い
汗ばむ

業火はあれだったろうか
ボンバー29の
銀翼に紅蓮を映しながら低空飛行
恣意のままに投下するのか
炸裂と拡散
天を覆う火炎
悲鳴と駈ける足音
少年は逃げる
燃えさかる故郷の山を背に

祖母がつぶやく
お前が一人前になる頃に
あきまさは
帰ってくるだろう
タラカン島で戦死した息子
祖母に刻まれた皺に
苦渋の波紋

顔よりもおおきな
一輪のあじさいを抱えて
姉が笑ってカメラに向かっている
セピア色の昭和の一枚
大きな握り飯を
鷲掴みした幼児が俺だ
姉に抱かれ
蕩けそうな懈さで目をとじながら
姉を犯している幼い俺

生きることの困難が
冷え切った指先に
痛みになって残ってる
もう見ることもあるまいと
瞼のうらから薄暗い世界を凝視め
この世と縁が切れるまで
あと1時間だな
瞳孔が開きはじめる

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| | 10:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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樹の老婆

樹の老婆

彼女は永遠の時間を使い果たそうとしていた
剥がれた枯葉の下に埋もれている骨の樹
あの時に見たのが最後だったかもしれない
彼女は老婆のまま
ぼくの脳裡を浮遊している

深く刻まれた皺は
顔から胸へと
こわばった皮を手繰る
彼女はぼくのおばあさん
九人の子を産んだ
泣きわめく子に飲ませた乳房は
今や 枯れた糸瓜
左右の長さが違ったまま
ぶら下がっている
かつて 彼女のスカートの下に
輝く天使がいたなんて
天国を信じる幼児でも
思いつかない

時は流れ 水は凍る
だれが彼女を想うのか
だれが彼女を悲しむのか
もうすぐぼくは黄泉に行こうとしている
天使は両手をひろげ
ぼくを抱きとめてくれるだろう


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| | 11:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鏡と頭

ほんものの
自分の顔は
だれも見ることが出来ない

マックのパソコンでは
photo boothというソフトで
自分の顔と向かいあうことが出来る
立ち上げると
これが己かと思う顔が
僕を見つめている

自己嫌悪にかかりたければ鏡を見よ
などとニーチェは言ったりしなかったが
己の顔に見惚れるような
ナルキッソスでも無い限り
鏡は冷酷にありのままの自分を
見せてくれる

ジキルとハイドではないが
人間には
頭のなかにいる自分と
生身の自分とのふたつが
矛盾無く生きていて
頭のなかの
作り上げた仮想の自分が
ずれも自覚しないまま
毎日を
疑念も抱かず
生きて
動いて
いるのかも知れない

部屋に飼っている
小鉢のなかの
メダカに
視線を走らせたりしながら
MacAirで
さきほどちらっと見た自分の
自分ならぬ顔を思いだし
こんなことを書いている

痛む足の指先
冷える手足
昨夜剃ったのに
もう伸びてきた無精ひげ
ああいやだ
などと独りごちながら
夕方がくるのを
見上げている

すこし散歩にでかけよう
この気に食わぬ顔のままで
文庫本の背表紙でも眺めて
気分を変えてきましょう


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| | 14:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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寒波

昭和二十一年の暮れ
大阪府南河内郡狭山村の
春本木工所という会社に父が職を得て
七人家族の我が家が
一枚板の
隙間風が舞い込む飯場に住み着いた
霜柱が
道路を踏むと
グシャリと音がする
寒い日に
やって来た
大阪へ引っ越すと知って
都会のどんなかも知らなかったが
なにがしかの想像はしたが
住み慣れた
徳島市の我が家より
そこは格段の田舎だった
その冬は
何度か雪も積もって
飯場の家は冷え込んで
母は引っ越し荷物を包んでいた新聞紙を
糊を炊いて
板壁の隙間に貼り付けた
飯場には水道も井戸もなく
裏の池の
急斜面を降りて
池の水を汲んでくる
池の水は
澄んではいたが
こんこんと湧き出る井戸で暮らしてきた一家には
悲傷な思いを余儀なくされ
近所の農家へ
貰い水に何度か行ったりしたが
やがて諦め
池水で暮らした
池に漣が立ち
寒波が頬を撫で
指に霜焼けが出来て
指を擦ったりしながら
僕は水汲みに斜面を下りた
狭山池の桜並木の堰堤が通学路で
飯場から小学校へ通った
風は冷たく
風花が舞う堰堤の道を
冬になるといまだに思い出す
寒波の風は
今も僕のこころに吹き続けていて
夢の中で
耳の痛みをこらえながら
歩いていたりする
頻尿気味の今冬
僕の人生も
寒波の時期に差し掛かったか
七十年前の
冷え込んだ日々は
今もそこにあって生々しい















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あんなあな

鳥見山の向こうから
日が昇る
張り替えたことのない
障子に
木々の葉が
影絵になって
風の動きを伝えてくる
床の間に
棟方志功の版画を掛けて
去年から
睨んでいるが
墨一色の存在感を超えて
何事か語りかけてくれるようだ
除夜の鐘とともに
時空の彼方から
やってくる
あんなあな思考


  ※あんなあな 
   加藤道夫の戯曲「なよたけ」に出てくることば。
   あんなあなに騙された。と童歌のように歌われる。


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| | 14:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カミシメル

1981年の世界正食教会の機関誌 正食 新年号に掲載した詩です。

  カミシメル 
         山内宥厳

玄米ヲ
モットモ有効ニ
アリガタクイタダク秘法
宥厳和尚ガ
ユメマクラニタタレタ
弘法大師カラ教エテイタダイタ
密教玄米秘法ヲ
新年ニアタリ
特ニ本誌ノ読者ニ
伝授イタシマス

オメデトウ

ヤ!
アナタモ新年ニ際シテ
今年コソハ
玄米ヲ食ベツヅケルゾト
決心シテイルヨウデスナ

去年モ新年ニ際シテ
今年コソハ
梅干ヲ毎日一個ヅツ必ズ食ウゾ
ト決意シタノニ
百八個シカ食エナカッタトイウノハ
アナタデシタナ

決心ハヤサシクテモ
実行ハムヅカシイトイウコトコトハ
ヨクゴ存ジデスナ

今年ハイヨイヨ玄米ヲツヅケルトノ
決心
ソレハ オメデトウ
決心ハ正月ダケデナク
毎日毎日
一時間毎ニクリ返シ決心シタ方ガ
イイノデハナイデスカ

今年コソハ大丈夫デスカ
ソレハメデタイ

玄米ヲアナタハ
ムシャムシャ食ッテオリマスナ
玄米トイウモノハ
食ウ物デハナクイタダクモノダ
トアナタ言ッテマシタガ
ソウシテイマスカ

イナイ?
噛ミタクテモ
口ノナカニ玄米ガ居ナクナッテル?
百五十回モ噛メトカ
百五十回モ噛ンデイルトイウ先生ガタノ
話ハ
ウソデハナイカトオモウワケネ

ソノナヤミオ答エスルノガ
弘法大師楽健寺直伝
密教玄米秘法ナノダ

ソレデハサッソク伝授シマス
紙トエンピツヲ用意シテ
和尚ノトナエル呪文ヲ
ウツシテクダサイ

オン アボキャ ベイロシャノウ
マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ
ハラバリタヤ ウン

コレヲ食卓ニ立テテ
心ノナカデ一口一口噛ミシメ
トナエナガラ
玄米ヲイタダクノデス
オカズモソウシテイタダクノデス
玄米ハ二回トナエマス
コノ呪文ヲトナエナガライタダクト
玄米ハ決シテニゲダサズ
ソノ霊験ノスバラシサハ
タダタダオドロクバカリデス

イマカラ早速
実行イタシマショウ 合掌

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| | 21:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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詩集 [水の旋律] 岩堀純子 編集工房ノア刊 レヴュー

詩集-水の旋律-岩堀-純子

詩集の題名になった「水の旋律」はこの詩集のなかでは静謐な眺めを見せてくれている。

白い貝のなめらかな内面で
存在を増す

遠い海からの微風に
澄みきった
水滴が揺れる

と書き出されるこの詩には、この詩集のなかで描かれる精神の揺らぎや、闇は描かれていない。
この詩人のまなざしが捉えようとしているのは、見えない自分が欲求している不可知のなにかである。
佛教にもキリスト教にも通暁しているこの詩人は、知りすぎているが故の苦悩を描く。

そこに
石があった

それは
地上に散らばる
無形と無意味の
結晶
あるいは
沈黙する


(中略)

どんな羽があれば
どんな眼差しがあれば
長い日の
循環の果ての
夢にも似た
その塔へ
一歩だけ
歩めるのか
    (塔へ)

求道とか真理の探究とか自在なあり方とか、自己の持たないものを求めてさまよい歩く魂でもない。
この詩人は自己の置かれている位置、在りようを知悉しているが故に苦悩する。

逆らえない
抗えない
美しく
醜い
生きものよ

幻影かも知れない
現の身が孕む
蒼ざめた炎
それは わたしのなかにあって
わたしからも
あなたからも
永遠に遠い
    (生きもの)

もがくのは生きもの、否、にんげんの定めなのか、と詩人は考察する。
人間を拒絶することは、自己の拒絶、自己否定でもあるが「水の旋律」の詩人は否定仕切れない存在の闇のなかで、思索し詩を書くことで自己の闇に光を当てて自己を凝視しようとする。
その揺らぎようが、読者に不安感を醸し出すこともあるだろう。
人はなぜそんなにも日常が平然とおくれるのだろうか?

わたしは形がない
言葉が
あなたが
わたしを
つくってゆく
鏡のように
わたしを浮かびあがらせる

わたしは形がない
言葉が
小さな石が
わたしを
つくってゆく
墓碑のように
沈黙の意味を教える
      (言葉が)

行住坐臥しか生活のなかにはあり得ないと知っていながら、人はなにかを何処かに求めるものだ。
この詩人は、帯に書かれた言葉のように、
(流れとばしりあふれ光る言葉の躰 わたしという迷宮 存在の混沌を 水の感触であらわそうとする 硬質だが豊かな表現で静謐に至る 思索の詩集)風景も身に起きる事件も存在の謎に還元して思索を深めている。その水底から清流になって溢れてくるもの、それを言葉の躰・詩として誕生させてくる。
詩人は2015年5月17日に、毎日新聞社オーパルホール第66回春の短歌祭で、関西文学賞を受賞されている。
「どうだん短歌社」同人
ブログ 熱帯の朝と歌と http://nettainoasa.blog.fc2.com

| | 22:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゆりのき

九月になった
まだ汗ばんでくる真夏日の朝
ゆりのきの樹影と
蔦に覆われた
楽健寺に
二人の訪問客が現れ
この長屋は
お宅一軒だけになり
老朽化して来ましたので
危険でもありますから
長年お住みいただきましたが
取り壊すので
年内いっぱいで
立ち退きをしていただきたく
お願いに上がりました
と随分前に
一度だけ会ったことのある家主がやってきた
家が老朽化するように
家主もすっかり
初老の白髪のひとになっていて
好々爺という雰囲気

春先に隣家が転居して
六軒長屋に
我が家だけが残り
家内ひとり
鼠の出没に悩まされたりしながら
暮らしていた

立ち退きとは
衝撃ではあったが
分かりましたと諾った

その夜
さっそく検索して
近隣の家探しを始めた
メールを送った不動産屋から
翌朝さっそく電話があって
物件を見に行った

三件目の家が
地の利もよく
家内も気に入ったというので
即決した

住み慣れた楽健寺は
借家の寺だが
半世紀近く
車庫の前もすっかり花壇にして
枇杷の木もたわわに実をつけていたが
去年から枯れてきて
三十数年前に
苗木を植えたゆりのきが
大きく育って大屋根を超えている

なにかがおわり
なにかがまたはじまる


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流転

道を歩きながら
父は時々立ち止まり
小石を黒い靴で転がして
雨が降れば
水たまりになる
道路の窪みに
放り込む

子供の頃は
舗装路などほとんど無くて
雨が降ると
泥濘になり
水たまりができ
けんけん遊びのように
ぬかるみや水たまりを避けて歩く

小石を窪みに靴で入れるのは
父の習性となっていて
なぜそんなことをするかと
訝しげな目のぼくに
道が少しでも良くなればいいからだ
と小さな善意の積み重ねを
示しているのだった

父は外出には正装した
髪をポマードで整え
一張羅の洋服を着て
中折れ帽も必ずかぶり
黒い磨き上げた靴を履いた

その靴で小石を転がす
道を歩きながら
小石を見つけると
それを繰り返す
父なりの
すこしでもなにかの役に立つという
公徳心の発露なのだろう

そんなことを思い出しながら
流転してきた家族の
子供の頃からの
いろんな場面を思いだす

大阪府南河内郡狭山村だったか
故郷を後に
南海高野線の狭山駅から
住み着いた飯場の小屋

駅で下車して
弟と僕が手を繋ぎ
父の前を歩いていたとき
父はまた
立ち止まって
小石を蹴っていたが
ぼくが振り向いたとき
父は石を蹴りながら
涙ぐんでいた

僕は
黙って前を向き
弟の手を握りしめて
足を速めて歩いた


bizan
故郷徳島の眉山を思い出して描いたクレパス画

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福山駅で

きょう
義妹が死んだ
誰もいない
駅の待合室から
掛けた電話に
弾まない妻の声が告げる
姉の死を知ったのも
福山から
広島へ向かう車中だった
当然のことが
突然起きる
冷静に受け止める
自分がいる
誰も慌ててはいない
走る車中で
共に過ごした姿を
声を
笑顔を思い出し
瞑目する


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福山へ

近鉄車中
晴れて
雲はないが
大気は透明でない
大陸の砂塵が
浮遊してるのか
わが視力の
翳りでもないだろう
こんな日に
車が
狐の嫁入りに遭遇すると
愛車が
黄な粉にまみれた
団子に変身する
東光寺山に繁茂する
葛などを
砂漠に植えて
砂抑えにならぬか
などと思う


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| | 10:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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They're waiting in Paramita

They're waiting in Paramita


In the Ganges they swam.
In the Ganges they drifted.
In the Ganges they flowed by.

Abave the Ganges the sun rise.
Abave the Ganges the day passes.
Abave the Ganges the sun set.

At the Ganges it darkens.
At the Ganres night comes.
At the Ganges moon rises.

The Ganges Flows now.
The ganges flowed then.
The Ganges will ever flow by.




 彼岸でだれかが待っている 
 
  
 ガンジス河で泳いでた
 ガンジス河に浮いていた
 ガンジス河を流れていった

 ガンジス河に陽が昇る
 ガンジス河に昼がくる
 ガンジス河に陽が沈む
 
 ガンジス河が暗くなり
 ガンジス河に夜がくる
 ガンジス河に月がでる
 
 ガンジス河は流れてる
 ガンジス河は流れてた
 ガンジス河は流れていった




      詩・山内宥厳   by Yugen Yamanouchi
      訳・ペテロ・バーケルマンス神父 transreted by Peter Baekelmans

 詩集「共生浄土」のなかの一篇ですが、本を整理していたらペテロ神父が英訳してくださって本に挟み込んであったのが出てきましたのでアップしました。
 この詩はパン工房でパンを作りながら聴いていた喜多郎のシルクロードのメロディに合わせて黒板に即興で書いた詩です。



| | 17:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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夜明け

朝は閃く
閃いた
夜明けの直感を
大切に
今日を始めよう
昨日の続きが
今日なのではない
今日が
明日に繋がってるわけでもない
時計の秒を刻むように
瞬時の生命を
生かされている弱いいきもの
昨日は振り返れるが
明日はあるか否か
過労気味だが
みんなが待つ場所へ
歩いていく


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えま&慧奏の「こもりうた」
慧奏さんとは1980年前後からお付き合いがあって、音楽を担当してもらって沖縄へ芝居をしにいったりしました。

| | 20:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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もっと

もっと
もっと欲しい
金を
着物を
食い物を
道路を
高速道路を
飛行場を
家を
車を
薬を
健康を
病院を
酒を
遊びを
暇を
旅行を
温泉を
客を
恋人を
愛を
町おこし
村おこし
地域活性化
原発再稼働
原発廃棄
黙れ
だまれ
八紘一宇
葵の紋が
菊の紋が
見えないか


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この詩はツイッターにダイレクトに書きました。

| | 19:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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雪が降る

雪に降られ
上がっていく地面を
見つめている

少女は
過去のひとときのなかに
これから
過ごしていくであろう
未来を凝視めている

馬の目のように
未来は
優しい眼差しで
少女を
雪景色に溶かし込み
包んでしまう

間もなく
信号が変わる
ニューヨークの
交差点


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絶唱

美輪明宏ロマンティック音楽会2014

緞帳の向こうに
すぐ開かれる
未来が息をこらしてる
座席には
とりどりの齢の男女
昨年10月
体調を崩した歌手が
公演を中止し
今夜へ日替わりだ
時の翼に乗った
伝説に生きる
悲傷の歌手が
歌う



| | 21:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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暖かい

楽健法など
まだ知らなかった
三十路にさしかかった頃
肩こりがあったりして
ときどき指圧や
鍼灸を受けに行った
路地の奥まったところに
その家はあって
目の不自由なご主人が指圧を
鍼灸は丸顔の明るい声の
その人の奥さんがやってくれる
指圧をしながら
世間話をしたりもするが
背中を押すときに
押しては跳ね上げるように
親指を離す動作を
指圧を受けながら
僕は推し量っていた
微妙な間合いがあって
吐く息と吸う息が
指の動きに
流れるリズムとなって
僕の体内にも伝わってくる
終わるときに
手のひらを
ぼくの背中に
羽毛のようにそっと置く
じわっと沁みてくる
暖かさが
五十年経ったいまも
背中に残ってる
あの感触をと思いながら
今日も楽健法をする



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「楽健法だより」第1号 巻頭詩



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闇をつくる

神々の
呼びかけに
応えるものがいない

起きていることに
両手で
目を蓋ぐ

目隠しした
指の隙間から
観察して知っているのに

地に捨てた
食べ残し
地に棲む菌たちが群がって
分解し
土に戻す

福一から
飛散する見えぬものは
日も土も海も
浄化の敵わぬ
悪魔の排泄

増える




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楽健法元年

踏めば楽
踏まれたら健
踏み踏まれたら楽健法

楽健法は
互いにやさしく
手足の付け根
指先まで
踏んであげたらいいのです

年をとることは
だれひとり避けられないが
生老病死の四苦も
楽健法をすることで
お産は軽くすみ
老いても介護されず
疲れて帰る息子や孫たちに
笑顔で楽健法をしてやり
分からぬことにはなんでも答えてやり
近所の家から声がかかれば
出かけて楽健法を教えてあげる
家族がみんなで踏みあえば
歩けなかった人が
楽健法をできるひとになったりする

老齢社会を
みんなが健康に生き抜くために
覚えやすく取り組みやすい
楽健法を広める時代
楽健法元年がやってきました
 

※この詩は「楽健法だより」第0号2015年1月1日発行に掲載しました。
http://www2.begin.or.jp/ytokoji/rakkenho/tokojidayori/rakkenhodayori.pdf
ダウンロードしてごらんください。

IMG_3174.jpg

| | 16:07 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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パン作りの長い一日
やっと終えて東光寺へ帰る
石段を踏みしめながら
最初の曲がり角で
わたしはきまって街を見下ろす

月明かりに
街はしんと静まっている

マニスがいたころは
ここまで甘えながら出迎えてくれたものだ
クロガシの葉群れに
月が光り
マニスの真っ黒い毛並みにも
月が落ちて光っていた

思い出はいつでも
月の光りのようにやさしい

庫裡へはいると
座敷は冷え切っているが
暖房をかけ
石段を上がってきた息を整える

湯を沸かし
お茶をいれ
小さな湯飲みに注ぐ
手のひらに
伝わってくる温もり
湯飲みを眺め
ゆっくりと味わう一服の茶

襖には
龍がいる
友人が送ってくれた墨絵
四本の足で
虚空を掴みながら
龍はさらに天の高みに登っていく

机の上の
湯飲み一個
陶器の感触から
作ったひとの思いが伝わってくる
湯飲み

龍は天を目指し
私は茶を飲みながら
こうしていまここにあることの
不可思議を考えている

FullSizeRender-1.jpg
湯飲みをさきほどパステルでスケッチ

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目的

物作りには
完成があるが
人には
完成がない

完成したともし本人が思ったら
悟りを開いたと宣言する
馬鹿と同様で
インド思想の究極目標は
ニルバーナに置かれてあるが
目標に向かって努力しても
必ず未完におわるものだ

悟りを開いた状態を
人は夢想して
未完であることを自覚する

未完であることは良きかな
詩人は
おろかで無知で救いがたいという
未完の自覚によって
詩を書く

完成した人には
ものを創る必要などない
もうそれ以上することがなくなるからだ


未完の人が
完成するのは
全ての衣を
脱ぎ捨てた時
物言わぬ
一枚の位牌になって
線香に燻される

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白紙

値段の記入されていない
ビルが
席を立とうとする
私の前に置かれてある

店内は
雑談が飛び交って
詩作する
雰囲気は
遠ざかった

私は
間も無く
雲へ向かって
飛翔する
小さなプロペラ機で


jac.jpeg

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幻雲

遠い日
未来でも
過去でもない
何処かの
遠い場所に
私は居て凝視めている

思念は距離を選ばず
時空をも超えて
私の居場所は
いつも薄明の
幻雲に包まれている

雨季のように
閉ざそうとする
天地の意志が
何処へ
私を連れ去ろうとするのか

幻雲を切り裂いて
斜光する
矢の眩しさ
全き闇に
私を包もうとする何か

泥濘に
埋もれた
沢山の手が
虚空を掴もうと
闇のなかで蠢いている

裏の竹藪がざわめき
家の前の海が
寄せては返す音が
時が流れてあることを
知らせている

私は早く来過ぎた
空港の喫茶店で
夕べわが身体に起きた闇
闇のなかで空虚になった自分を
振り返っている

雲よ
蒼空よ
曇天の運ぶ雨季よ
私を連れ去る時には
繁吹く一瞬の雨を降らせてくれ


cloud.jpg

森田童子 さよならぼくのともだち




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