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東光寺の日々

東光寺の暮らしのなかから創作される、詩歌や散文。

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黒い花

詩人会議2019年1月号に掲載した詩


 黒い花      
       山内宥厳

僕の胸に棲む
黒い花が萎むとき
夜明けがやってくるのだろう
そんな思いでいままで
世界の推移を眺めて生きてきた
原爆が落とされ
故郷の街が灰燼となって
僕の家族が流浪することになり
井戸もなく
水道もない仮設の家で
池の水で命をつなぎながら過ごした頃
少年の僕の胸に
咲きはじめた黒い花が
いまも僕の胸に咲いている
家族が生きるため
錆びたバケツに
鉄屑を拾い集めて
寄せ屋に売りに行く僕の前に
立ちはだかった警官が
学校はどうした
きみは何歳か
何年に生まれたか
などとしつように誰何されたときにも
黒い花弁は育っていった
僕は小柄な不就学児童だったが
黒い花は
僕を成長させるために
花心から毒を出し
僕の胸に詩の種を発芽させ
黒い花とは何かを知るために
お坊さんに僕を育てた
少年の僕がいたあの時代の空気が今また濃厚になって
僕の胸の黒い花はいまも風に揺られている
暗い過去は足音もなく
またすり寄って来る

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短歌近詠 未来へ送った短歌

熱風に舞い上げられる工房の熱気のなかで食パンを出す

家具作りパンも作って暮らしたり楽健法が究極のいま

真夜中に起きて廁に向かう頬意思持つごとく撫でる蜘蛛糸

天井も机の上のスタンドも昨日はなかった蜘蛛糸模様

龍の舞う天の茜を描きつつ人に欠かせぬ想像の雲

急斜面生い茂ったり三輪山が見えなくなって修羅の木草刈り

筐底に未使用の原稿用紙現れる泥濘むごとき若き日のペン

尺八を寂び寂びと吹く我流にて笛の音色は野の花に似る

出口無き地の果てなのだ大阪は思い暮らしたいま奈良に住む

護摩壇に座して称える真言の響はおのれか御仏か



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今年の気候が荒々しくて屋根にもダメージを受けて雨漏りがするようになり、チェックしてもらってるところ。

| 東光寺山博物誌 | 20:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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短歌誌「未来」2018年10月号 山内宥厳投稿歌

 短歌誌「未来」2018年10月号 山内宥厳の短歌


短歌詠むこころのゆとりなき時も輝くために言の葉紡ぐ

夕暮れに振り返ることなく消えゆきぬがらんどうなり弥生の闇が

刻きざみ積み上げてきし満天星の銀河の岸の斜塔の高さ

またとなき縁の深き軸にいた天河隔てり永訣の朝

パレスティナゆだやのひとらやさしさのかけらもなきかころされる子ら

日本はいまは鎖国をしています批判は封じ盲従の民

たったいまあなたのくれたメール読む蝶は羽化まで芋虫なんだ

魂は何処に漂う卑しげな振る舞いのひと蝶なの蛾なの

曇天に烏の声がのびのびと闇の心を切り裂いてゆく

○掌に乗るハヌマンが踊りだし想いを閉じし僕を鼓舞する
 ※上は没になった短歌です。

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 東光寺の楽健法道場前の石段からの夕景

| | 17:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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棟方志功の石碑探索

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東光寺の床の間に最近掛け替えた掛け軸は棟方志功の石碑の拓本だが、検索すると桜井市のHPに、巻向川の畔にあると紹介されていたので、探しに行った。

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マップで見ると桧原神社のすぐ近くだった。道路沿いの巻向川に背中を向けて、道路から一段低い土手の上に、石碑はあった。

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予想していたより小さな石碑で、道路から数段の石段を下りたところに、雑草に巻き込まれそうな風情で、右にかなり傾いて建っていた。

桜井市のホームページに、この人麿の歌を棟方志功が揮毫した解説が詳しい。

| | 18:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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高野山で四度加行の時に詠んだ短歌他

    真言密教 高野山 四度加行(1987年3/15〜8/30) 徒然歌 

   
             山 内  宥 厳


   理趣經加行結願

しとど降る雨だれの音身にしみる
円通律寺昼食を待つ

雨あしのすぐ目の前がもやうなり
本堂の様墨絵の如く

百禮の膝の痛みもうち忘れ
大師御寳號千遍唱ふ

身はひとつ思ひははるか天がける
縁あるひとまだ見ぬあした

胎内にゐるが如きかくらやみを
破りて響く三通三下
         入 堂 四 時

二十四人行者の唱ふ読經の音
堂にこもりて天の樂なる

あすなろの大樹の姿たくましき
円通律寺で學ぶわれらも

無言にて打ち並びゆく下駄の音
如法衣の黄色苔生した墓地

指折りて数へることはあきらめり
けふ一日を貴しとして

佛縁に結ばれてあり法衣着て
弘法大師の御廟に参る

白糸で蝙蝠傘に名前書く
木綿の針の似合はぬわが手

左手に数珠をくりつつ百禮す
オンサラバタタギヤタハンナマンナノウキャロミ

南無大明神唱うるうちに舌もつる
つまづくごとに数珠くりなほす

閼伽井戸のつるべの水音なつかしや
幼き日々の水あたたかき
        五月四日二時半閼伽水をくむ

あと二分などと時計をながめつつ
さまにもならぬ歌つくりおり

冷えこみもここでは冬の厳しさよ
五月五日の紺碧の空

灌佛会花盛られたり本堂の
裏山ちかくうぐひすの鳴く

日光浴したき冷えこむ居室には
うぐひすの聲さんざめく聲

年一度女人禁制解かれたる
円通律寺に児や女らの聲

明遍の淋しき墓のたたずまひ
ゆんでに見つつ寺へと帰る

火の気なくしんと冷えこむ居室には
食事待ちわぶ若き僧たち

勤行の淋しきしらべ前讃の
節身につかず耳を澄ませる

花御堂掌に乗るやうな誕生佛
甘茶そそいで五体投地す

束の間の谷間の寺の陽差しなり
もの思ふわれをやさしく包む

じっと見るわが掌の線は錯綜す
五十路の行方いずこに向ふ

灌佛会お供への菓子多かりき
若き僧らのにこやかな顔

西日差し居室の障子の影絵ゆれる
高野槙なり円通律寺

薬食の時間おそしと待ちわびる
若き僧らは戸口にて立つ

御影堂の前に並んで読經する
入山前の思ひ出胸に

差し入れの焼き餅二つに切り分けり
平等行食虚心合掌

同じことくり返すことが行ならん
人の世なべて行ならざるはなし

暁暗に小鳥のさへずり響きける
しびれる足を耐へながら聴く

早足で行者は歩くものならん
手合はすひと目尻に捉へて

足袋洗う洗濯板の感触よ
思ひもうけぬ日々また楽し

微動だにせじと心に決めてより
足の痛みも楽になりたり

一日に三百四十二禮する
空しからずやと思ひかすめる

世の中はいかなる事や起りけん
諸佛の御み前ひたすら拝む

ひたすらに想ひつづけるひとあれど
別のひとのみ夢にあらはる

過ぎ去れば五十路のけふまで束の間よ
百三十五日何故にながきや

ごちそうの出るはずもなき食事なり
なにが出るかと話題にのぼす

うぐひすの聲聴きながら練習す
聲明の節ままならず

日曜も祭日もなき律の寺
陽差しばかりはやさしかりけり

草むしり土工の真似も作務でする
腹に力のないことも知る

捨てて来し妻の夢みてうなされる
祈りて我に念おくるやも

わが道に誤ちありやこの道は
定められけんわが選びけん

訣別を言ふは安けど因縁の
深きか夢に立ち現はるる

勤行に念珠忘れたり如法衣に
手をひそませて合掌をする

黄金の海はるけき空に浮かびたり
凝視めゐるわれ大門の陰

入山の瑞兆ならんか黄色の海
はるけき空にまぶしく浮かぶ

杉木立亭々とした石畳
霧雨やまず下駄音低し

聲明の讃頭はじめて勤めれば
作法もそぞろ鉢の音高し

はるばると来たるものかな転々と
生けるものかなふるさと想ふ

いまごろは朝餉の仕度するならん
猫二匹鳴く部屋を偲べり

釈迦如来静かにわれを見下しぬ
三昧遠し下界を想ふ

聲明は小鳥のはうがうまからん
うぐひすの頭山鳩の助

飢餓感も身にひしひしと迫りくる
行の激しさ餓鬼道もあり

薬食をいまや遅しと待ちうける
若き行者ら施餓鬼するなり

正座行しびれのとれぬ足を揉む
凍てしわが手に足あたたかし

二日間降り止まぬ雨暗き空
巣にこもりしかうぐひす鳴かず

かゆ腹のけだるき思ひ端坐して
読經の声に艶なからんか

落ち込みし気分は雨の故などと
過ぎこし日々の思ひたちきる

道場から帰ればかすかにあたたかし
火の気なき居室に人の気残る

二十年これから役に立つならん
五十路のわれに時間貴し

朝には理趣經唱へ夕には
観音經唱ふ得難き日々を

歩々と行く蓮華の上のくらやみを
導かれるかみ佛の道

雨あがる奥の院参拝する日なり
小鳥の聲に耳傾ける

意味知らぬ真言となへ有難し
数多の佛加護をするらん

差し入れの菓子ほほばって時計見る
初夜の入堂時刻ちかづく

經文の暗誦なかなか身につかず
夜半目覚めて唱えみるなり

寄り道は許してくれぬ身なれば
明遍の墓はるかに拝む

しゃくなげのやさしき色や白椿
霧這ふ庭にいま花盛り

亭々とそびえる松の見事さよ
施餓鬼見守る鬼神の如し

厳しさも優しさもあり律院の
くらしに慣れて一月が過ぐ

西陽だけからうじて差す居室にて
黙念するや過ぎこし方を

行者とは物言はぬもの歓談は
裸になって風呂でのみする

大僧の寝過すことも人なれば
三通三下の鐘なし入堂す

夢も見ず目覚しまでは熟睡す
暮し慣れにし律院の日々

永遠に生きたためしは無けれども
さきあるごとく加行に励む

何人が照覧するやきのうけふ
われより他に知るひとぞなき

百禮の数少しと注意され
またやり直すこの気恥かしさよ

百禮をしつつ妹には重からん
作業の手順思ひ浮かべつ

うぐひすの鳴く聲聴けば去年の初夏
繁く歩みし六甲想ふ

変らずに在れと念ひつ日を送る
吾妹は部屋でペン握るやも

さわさわと葉ずれ淋しき竹林の
窓辺に寄りて烏鳴く聴く

去ぬる年さほど燃えにし情念の
いずこに行きし身心寂静

澄みわたる高野の森の空仰ぐ
紺青深きネパール恋し

欣求する浄土はいづこはるばると
のたうちまはり探しきたるも

小綬鶏よいづこにひとり旅立ちし
鳴かぬつれあひ連れての旅か

廟参の日には不可思議雨あがる
佛の加護か心かるがる

廟参の老男老女多かりき
田舎の顔でわれら見守る

日毎する施餓鬼の味を覚えしか
山鳩はくる読經の聲に

供養とは佛さまとのままごとか
とりかへとりかへお經をあげる

積み置きし善根なくて読經する
行方定めぬ五十路の朝

何がため誰がためかと問ひはせで
ただひたすらに經を読むなり

經に明け經にくれゆく日々なりき
日がな鳴きおり小鳥に似たり

伝授する和上の声はふるさとの
なつかしきなまりきびしきなかに

簡単なマントラ試験するといふ
覚えのわるき頭をなぐる

沐浴のふんどし干しつつ室友は
トンカツ食べたいしみじみと言ふ

呪を唱え早暁冷たき水かぶる
想像ほどにはつらきことなし

荷車のきしるが如き鳥の聲
いかなる鳥や姿見せてよ

一椀のおかゆ梅干塩こんぶ
味はひ食べるいとまもあらず

読經する真言唱ふ鈴を振る
念珠すりつつしびれをも耐ゆ

この行法終ればすぐに昼食か
などて思ひつ念誦に励む

しもやけの小指かなはぬかゆさにて
子供の如く噛んでみるなり

せせらぎの音消す如き雨となる
出るあてはなし雨よ降れ降れ

ままならぬ世の中だとは思へども
己がこころもままにならざり

うぐひすは經読み鳥ともいふならん
寺の四囲のおちこちで鳴く

雨季なるか数を繰る数珠しめりおり
人差指のすれるが痛し

濡れそぼる山脈はるか鳥の聲
浮かれて鳴くにあらじと想へど

数分の時の大きさ教へらる
追ひたてられて惜しまず動け

尻上げて雑巾掛けにつっ走る
長き廊下よ校舎なつかし

瞑想を教へし室友束の間も
法界定印静かに坐る

この庭に佛種蒔かれて育つらし
はればれの午後折紙伝授

散念誦数多ければ急ぎたく
これより他にすることなきに

じっくりと味はふごとく散念誦
終りしあとの気持の良さよ

やわらかき西陽居室に木漏れおり
掌にて掬ひあげたり

覚えよと宿題出されし經をよむ
門前の小僧うらやましと思ふ

ふとん干す祖母のふとんのなつかしき
日の光匂ふ木綿の厚さ

散念誦心急げば疲れたり
味はひながら楽々と誦む

オンバザラダドバンだけを千念誦
加行の峠か三昧境か

悲しげに鳴く鳥ありき暮れなずむ
空を見上げてわれも哀しき

月曜はパン焼く日なり後にした
記憶のなかの手順を想ふ

光の海念誦重ねつ現はるる
五体軽々浮かぶが如し

定時まで熟睡せんと願ふなり
お茶をこらへてつばき飲みこむ

なにがなし哀しきものよへだてらる
遠きにあらねど逢へぬ想ひは

かっこうの声まろやかに聴えくる
間のとり方のあのゆうゆうと

かっこうの鳴き声始めて耳にする
山林静か留まりてあれ

食事時耳に聴ゆる音楽の
幻聴なればあやにうつくし

かっこうは恋ゆえ止まず鳴きぬるか
子どもはひとの巣で育つらし

耳にせずなりてかれこれ五十日
傾聴したしわがモーツアルト

太きペン握りて記す両の手に
しもやけ痛し見つめつつ書く

日記帳つけつつ甲斐なき物思ひ
アルビノーニの曲われ知らずでる

去年のいまアルビノーニに聴き入りし
苦悩の日々を如何に思はむ

散念誦しずかに繰れば黄金の
かすみ広がる不可思議の空

黄櫨の木に気触れし指のはれあがり
曲りがたきを念珠繰る日々

食ゆえかつるりと光る肌になる
手を撫で眺む人生重し

老僧の寂々とした聲明に
耳傾むけつ道程想ふ

幸せで過してくれと祈念する
妻の眼差し思ひ泛べつ

二昔まえに果てたりたらちねの
母立ち現わるる夜毎の夢に

いかほどか孝行したるつもりなり
慙愧身を食む思ひ出もあり

一人去りまた一人去りしていまはただ
健在なれとはらから祈る

冷えこみの厳しき朝の道場で
明けゆく空に心なぐさむ

碧落の浪速にはなき澄明さ
カトマンドウの日々なつかしむ

指は脹れ痒さもひどし身をよじる
集中ならず固く眼を閉ず

四時ならばもう白々と明けそめる
高野の山の杉黒々と

次々と日程細かにこなしつつ
五分の時の貴きを知る

大盛りのスパゲッティ楽々平らげる
わが胃袋に敬意を表す

逸るとて月日の流れ変らざり
日記つけつつやはり日を繰る

味噌汁に数個のだんご沈みおる
心遣いの食当にくし

十度からいきなり二十五度になる
高野の寺の気まぐれの気

空腹の朝待ちかねし一椀の
粥の後味ほのかに甘し

梅干のどこにでもある味ぞかし
静かに含め思ひ出充ちる

足首に座行の厳しき傷できぬ
あきたる穴から生命もれ出ず

沛然と音も激しき庫裡の屋根
受戒を受ける背に響きけり

受戒受く一〇八人の求道者
青き眼の男女もゐたり

丁字噛む受戒の式の堂前に
雨脚しげくわれ宙に浮く

妻からの心盡しの荷をほどく
眺める行者眼なごめり

霧雨に変りしけふの受戒式
なに手遅れかしとど待たさる

三百余み佛のみ名称へつつ
百余の沙弥が三百余禮す

經文の暗唱テスト落ちこぼれ
五人の仲間と懺悔行する

疲労したからだむち打つ三百禮
こころのなかはすがすがしけり

密教は観想抱く世界なり
佛になったり罪を負ったり

腰痛に悩まされつつ入堂す
などてか暗くこころ沈めり

追試まで落ちこぼれたり立義文
覚えし筈が出てもこないで

日程の半ば過ぎたり昨日今日
しきりに想ふ出で発ちし日を

御影堂の陰くっきりと心にも
焼きつきたればひとしほ思ふ

慚愧多き半生なればここにきて
読經三昧ひねもす合掌

碧落の吸ひこむ如き森の空
烏さかんに何事かいふ

わが選びし半生なればつれあひの
ことあげなどはすべきにあらず

夜に日に断ち切りし筈の妹が身を
思ひて口に真言唱ふ

別れても愛せざるにはあらざりき
愛あらばいまわれ発たしめよ

雨上り赫赫と燃ゆ陽の下に
せせらぎの音小鳥鳴く聲

鴬の聲聴かぬ日無くしみじみと
ここにくらせり共生の浄土

束の間の夢に現はるきみが影
目覚めざりせば逢へにしものを

あと二分あと一分と数へつつ
想ひをこらす歌の生命に

六月も二十日を過ぎてなほ寒き
高野の寺の沐浴の音

ほのぼのときみが想ひ出抱きつつ
冷えこむ床に横たはる我

夢ならばせめて優しく抱けかし
つれなきわれは心凍てしか

ここに来て過ぎこし方をふともらす
老い自覚する行者きびしき

半生はうたかたなりしこれからは
いかに歩まん念珠握りつ

いまははや晩年だとの自覚あり
こころの逸る日々過しつつ

つぎつぎとこころを過ぎる想念に
惑ふ日もありつよく合掌

ご寳號唱ふるうちに物故せる
身内の姿ありあり泛ぶ

父想ひ母想ひつつ散念誦
生きてありしぞわが血の裡に

高ぶりし荒りし日々いづこへか
和やかなりき掌あたたかし

麺麭の香も蜜柑の香もうれしけれ
なに想ひつつ荷造りせしか

懺悔なき身にはあらねど半跏趺坐
われ佛體なりと観じ目を閉ず

雨季去りし高野の森の碧落を
見上げ見上げつ濡縁を拭く

すらすらと出来る日もありぐずぐずと
詠めぬ日もありされどペン持ち

作務衣着て作務するわれを見し姉は
なに思ふらんなつかしき顔

久々に見し姉の顔つつがなく
夢見のわるき杞憂ぬぐひたり

青空も陽差しも風も哀しけり
寄る辺はいづこ漂へるわれ

凝然と行方見詰めておりはせじ
けふ一日をただ生きて在れ

み佛はわが身を使ふて何かせん
保身の術は思ひ浮かびも

耐へがたき思ひがつのる昨日今日
残りの日々の憎きながさよ

しばらくは歌も詠まずに日をおくる
こころいづこかさまよひゐたり

恋人よいかなる日々を過しけん
身悶えつつ行を重ねる

日程もほぼ大詰めと迫りきて
宿業深し変らざるわれ

降りやまぬしぶとき雨の音聞けば
雨季の旅路がまた蘇る

祖母の死も知らずに過ぎし若き日の
雨季の旅路かくり返しおり

もう五日降りやまぬ雨かいくぐり
ひぐらしの声肺腑を抉る

夕暮れに鳴くひぐらしの声聞きつ
まだまだ遠し下山の日思ふ

護摩の火の赫々と燃ゆ束の間に
支木投げつつ生きざま思ふ

結願の夜静かに手を合せ
ねぎらひ呉れし師うれしかり

夢にみし丸山博和服着て
われ聲かけど無視して去りぬ

残る日も指呼の近きに迫りきて
くたびれたるかみなもの言はず

晴れわたる空見上げつつ
明日は原爆の日と思ひだす

伝法の灌頂を受けくらがりの
燈火みつめる空しきからだ

延々と受けつがれ来し灌頂の
壇に入りて暗きを感ずる

なかなかに時は流れず烏鳴く
聲聴きながら下界を恋ふ

去ぬる日も一桁台にと迫りきて
じれる想ひはいま盛りなり

小雨降る律寺の庭にしのび寄る
紅葉の紅よ初秋の冷気

成満の日近き雨の日の
障子張る僧刷毛の手早し

行道の成満の朝心澄まし
耐へ過したる日々ふり返る


    七 寶 瀧 寺

紅葉の七寶瀧寺に留錫す
護摩赫々とわが頬を染む

祖父母住みし廃屋の庭にしゃがの咲く
五十回忌の墓前に供ふ


      

   【 俳 句 】

剃りたての青き頭に若葉映ゆ

身につきし衣着る日々夏近し

鳥の聲繁くなりたり雨上る

しゃくなげの木立心經こえてくる

ひび割れも癒えてしゃくなげ花盛り

獅子吼する松籟背骨に共鳴す

小綬鶏に呼ばれてついと腰うかす

小綬鶏の甲高き聲妹に似る

また冷えて小用近し手をこする

月飛ぶ夜明けて袂を分ち生く

あてもなき道程なれば旅を行く

みじか夜や名残りの肌でもみじ踏む

杉木立墨絵の如く霧沈む

色を増す緑に染まり番茶呑む

うぐひすや遠ざかりつつわれを呼ぶ

しもやけの指さすりつつ歌を詠む

沐浴の飛沫すさまじ若き僧

うぐひすが鳴きやみてのち蛙鳴く

かっこうの鳴く聲聞きつ便所待つ

煩悩もここで盡きたり真別所

艸深き共生浄土に日が暮るる

寢苦しき一夜が明けて深き碧落

閉じてきし扉のなかの眼が凝視め

参照ページ 山内宥厳・四度加行日誌 


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パン種

一週間
冷蔵したままだった
先週のパン種を取り出してパン種を作る

リンゴ十数個 ニンジン十数本 長芋一本 ご飯四合
この材料をジュースにして
50リッターほどの器に
溢れるほど作るパン種

ぼくは歯痛があって
昨夜は不眠気味だったが
昼間の楽健法のお陰で
ごく普通に
四十年余のパン作りを
今夜も繰り返している

パン種は冷え切って
いまは一言もぶつくさいわないが
明日の朝には
盛り上がって気泡を吐き出している

何度目かの生業のこの仕事も
決着を付ける日が遠くないかも知れないが
二人ともそのことには触れないで
ルーチンに沿って
淡々とパン種を作る

人はパンのみにて生くるに非ずとバイブルはいうが
何かに向き合っている間は
人にはそのことしかできないかも知れない

僕のパンは
大いに飛翔して
この頃は世界を駈けている

明日は早起き
お休みなさい

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| 東光寺山博物誌 | 21:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ハガキ男

 
一銭五厘が兵隊の代名詞だった頃に僕は生まれた
グラマン戦闘機から機関銃で狙われ
小学校の塀と校舎の壁に銃痕が穿たれた
ボンバー二九(B29)は
僕の街を一夜で焼き払い
広島と長崎に落とされた決定打で
空飛ぶ飛行機に向かっての
竹槍抵抗を諦めて無条件降伏した
一銭五厘の生き残った男たちが復員し闇市を彷徨した
骨になった一銭五厘は密林にいまも眠るが
黄ばんでいくハガキより早く
ハガキ男は戦跡で風化して土になっていく
政治家になった戦争好きの男と女がいまも密議して
ハガキ男をまた作ろうと企んでいるこの時代に
キーボードで笑顔の絵文字を並べたりしている


※参照 一銭五厘[編集] ウィキペディア
従軍記や花森安治の著書などに見る「一銭五厘」の表現は、当時のハガキの郵便料金が一銭五厘であった[注釈 1]ことから、兵隊は一銭五厘で赤紙を送れば補充がきく、兵隊の命には一銭五厘の価値しかないという比喩である。ただし、実際には上述のとおり赤紙は役場の職員が直接持って来るのが原則だった。



| | 21:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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抱かれた山羊



産まれたばかりの山羊がいて
少女が
山羊を抱いている

宇宙に馴染んだ
沈思黙考するような
山羊の風貌に
大樹のような落ち着きがあって
人間には
この委ね切った気配はあるまいと
思って
ぼくは山羊を眺める

星は
見えない虚空を行き

月は
経巡って日々姿を変え

地は天変地異に揺れ
風雨に晒されながら
翻弄される人間を運んでいる

山羊は
悟り切った人間も及ばない
静かな目で
明日を瞳に写して
抱かれている


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流れきて

2018 年賀状に書いた詩です。
テキストで欲しいという声がかかりましたので、ここにアップします。

通り過ぎて省みれば
わたしが歩いた道は
錯綜した
迷路なんかでなく
坦々たる直路だった
なぜわたしは
この道を歩いて来たのか
八十路のいま
わたしはいうことができる
人生において
辛いだとか幸せだとかいうものは
通りすがりの
単なる風景であったのだと
誰も何もくれないなどと
不平に思ってこともあったが
じつはすべて与えられていた
壮大な夢とか
見果てぬ夢とか
野心とかとは無縁の
生きる為のその日暮らし
読みたい本が買えて
喜怒哀楽を包み隠さず
分かち合える相手がいたことは
自然が与えてくれた
たったひとつの
有りようではなかったか

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お坊さん

 お坊さん      

時の暗闇から
ぬっと現れて
不思議なうなり声で
訳のわからぬ異国語を歌い出す
頭を丸めて座るひと
そんな人に出会った幼児期の
薄明な記憶があって
その時の場の匂いも覚えている
普段には見られない
両親の神妙な顔を
怖い物を見るように見上げていた
鐘がチンちんと打ち鳴らされ
うなり声が尾を引くように長くなると
坊主の頭から目を逸らした人が
指でつまんだ抹香を額に献げて焼香する
私は今日も護摩壇に座って
後ろで般若心経を唱える声を聞きながら
子供の頃に
お坊さんの光る頭を眺めながら
母に伴われていた
朧な記憶が不意に浮かんでくる
なぜ私がこうしているのかは
自明にして不明の謎だ
説明すれば人生の謎が解明できるのか
護身法の印を結ぶ
結界した
私と佛と信者とが集う
この空間は
見えない何かが
私に与えた
火と闇の狭間に違いないが
私はいったいどこからやってきて
お坊さんなどに
変身してしまったのだろうか
時の暗闇に
問いかけてみる

 
 ※ 詩人会議 2018年5月号に掲載


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 東光寺での護摩祈祷

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晴れた日 

晴れた日  
         山内宥厳

兵隊に魅了される少年でもあった
連隊へ帰る兵隊の隊列に並んで腕を振ったりした

三つほどダイヤルがついた
小さな木箱の中から
音楽が流れ
ラジオ体操の声が流れ
昭和二十年八月一五日昼頃に
変な抑揚の今上天皇の声が流れてきた
耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び
ところどころ意味は分かったが
結論はなにを言いたいのか理解しかねている僕に
戦争に負けたんだと叔父が言った
空気が光った
これで空襲がなくなる

神風がそのうち吹いて
鬼畜米英を駆逐してくれる
僕らは政府の言うことに期待していたが
神風など全く吹かず
夜毎空襲警報発令に震え上がった
何度か空爆を受けて
爆弾が落ちる時に空気が裂けていく不気味な音
大地が揺れ耳がツンとして
方角が分からなくなる爆風
恐怖で泣き出した僕を
あかんたれやねーと笑った姉
二十年七月四日の徳島大空襲で
担架に爆裂した人間の肉片を剥き出しのまま乗せて
涙を流しながら運んでいた家族らしいのを見たりした
身の竦むこの恐怖の日々から
僕を解放してくれたこの木箱は
町内で数少ないわが家のラジオだった

        ※詩人会議2017年10月号に掲載済みの詩

参照 徳島空襲後の市街の眺め
tokushima空襲

「語り継ごう 徳島大空襲」体験談
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/shisei/peace/daikushu_taikendan/daikushu_taikendan00.html

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見知らぬひとへ

 「誰がために鐘は鳴る」 ジョン・ダン

人は離れ小島ではない
一人で独立してはいない
人は皆大陸の一部
もしその土が波に洗われると
ヨーロッパ大陸は狭くなっていく
さながら岬が波に削られていくように
あなたの友やあなたの土地が
波に流されていくように
誰かが死ぬのもこれに似て
我が身を削られるのも同じ
なぜなら自らも人類の一部
ゆえに問う無かれ
誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
それが鳴るのはあなたのため
(浜野聡訳)

 イギリスの詩人ジョン・ダンのこの詩は、ヘミングウエイが「誰がために鐘はなる」と小説の題名にしたことで知られているが、人が出会ったり別れたりという無常は人生についてまわる。
 上の訳はネットで見つけて引用させていただいたが、僕が出会ってきた一目置いていた多くの知友もいけなくなってしまったひとのほうが多くて、思い出だけは鮮明にぼくの中で生き続けている。

 参照・ジョン・ダンの瞑想録第17

 誰がために弔いの鐘は鳴るのかと という意味は、人が死ぬと死を知らせる教会の鐘が打ち鳴らされる。近所の人たちは誰が死んだのだろうかと、確認のために子供たちに、「誰が死んだのか聞いておいで」と走らせたりするものだが、ジョン・ダンは、誰かが死ぬと言うことはあなたが死んだと言うことなんだよ、この世にいのちというのは、たった一つっきりなんだから、聞きに行かせなくったっていいのだよ、という意味のことを言ってるんですね。

 今月の楽健法講座で、楽健法のBGMにたまたまビオレッタ・パラの「人生よ有り難う」という歌を取り上げて楽健法をしながらいろんな話をしたが、この「人生よありがとう」という歌を僕に印象づけてくれたのが、ファド歌手の月田秀子さんだった。
 最近、月田秀子さんが亡くなられたということを聞いて驚いたが、月田秀子さんとの出会いは布村寛という友人の追悼会の席であった。月田さんはギターを抱えて登壇し、私の一番好きな歌を布村さんに献げます、といってギターを弾きながら「人生よありがとう」を聞かせてくれたのであった。
 
 だが、「人生よありがとう」を書いたチリの詩人、ビオレッタ・パラの詩集をぼくはすでに持っていたのだが、その中にこの詩が書かれていることを、月田さんのこの歌を聴くまでぼくは知らぬままでいたのであった。
 その詩集は、東光寺を訪ねて来られたまり子さんという女性が、私が下訳をお手伝いしたものです、と下さった本で、私はそのまま精読しないで積ん読にしていたのであった。

 まり子さんは、甲府のベルクというレストランで働いていたひとで、ベルクは家内が天然酵母パンの指導に度々足を運んでいた有名な店でもあった。まり子さんはやがて東光寺へトクータ・ゴルディージョという南米の歌手を連れてきて、東光寺でコンサートを開いたりした。
 以下の僕の詩で、トクータ・ゴルディージョさんが、「人生よありがとう」を歌っていて僕の五感にはまっていて、というのは僕のフィクションと言えなくもないが、人生は糾える縄のごとしという実感が、人との出会いと別れに感じることであるが、月田秀子さんの、「人生よありがとう」を、昨日楽健法をしながら皆さんと聴いたので、ここにそのわけを記録し、月田秀子さんの哀悼の意ともしたい。
   
   *** 見 知 ら ぬ ひ と へ ***
                   
                      山内宥厳

まり子さんがビオレッタ・パラの詩集をくれた
彼女はトクータ・ゴルディジョという
アルゼンチンの歌手をつれてきて音楽会を寺でやった
彼のフォルクローレは骨にもしみた
ヌノさんという詩人が不意に死んで追悼会があった
ギターを抱えた月田秀子さんがひとつだけ歌を弾き語った
(人生よ ありがとう)
こんなにもおおくのものをわたしにくれて……と
トクータ・ゴルディジョがおなじ歌をうたっていて
ぼくの五感にそれははまっていたのに
ぼくはそれまで知らなかった
その歌がピストル自殺を遂げたビオレッタ・パラの
愛すべき哀しい歌であったことを
まり子さんのくれた詩集の題名でもあったことを
それでぼくはひとつ謎の解けた人生に
ありがとうと声にだしていうのだ

                  詩集 共生浄土 掲載より



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日本未来派 第37号 特集・井上靖詩抄 三十四篇

日本未来派は私は数年前に退会したが、同人を退会した今も、旧同人に新刊が刊行されると送ってくださる。
最新号は233号70周年特集号で何人かが日本未来派のことを書いていられるが、そのなかに後山光行さんが、井上靖の特集について書いていて、当時の資料がなくて調べられないということを書いておられた。

日本未来派の創刊号から62号までのバックナンバーを、昔購入して持っているので調べてみると、37号に井上靖の特集が掲載されている。この特集は、緒方昇が井上靖に声をかけられて組まれることになったとうかがった記憶がある。
昭和25年8月1日 発行 編集者 池田克巳 発行所 札幌市北六條九丁目三八四 と記載されています。
この当時は同人誌を発行するにも東京では紙が入手出來なくて、札幌の同人、八森虎太郎氏が紙の入手が出来たので、札幌で印刷していたと聞いています。

全ページをアップしようかと思ったのですが、スキャンがきれいに出来ないので、アイホンで撮影して、参考までにアップしておきます。

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| | 10:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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短歌誌 未来 掲載


半眼の大日如来見上げつつ護摩壇に座し紅蓮に染まる
護摩を焚く寂びたる気配本尊の大日如来炎に揺れて
何処へと向かう積もりかこの国の闇燃やすべく憤怒の祈祷
東光寺杜は茂りて膨張し天蓋の緑庫裡を飲み込む
熊蝉の鳴き盛る日々鵯に餌をやったりパンを解して
手水場の縁に登って水を飲む猫に狸に鵯の群れ
熊蝉の初鳴き聴きし七月に今年も演じる一人芝居を
我が母を焼き殺したり空襲の惨禍を書きし芝居の中で
架空とは言えじ苦闘の人生のまま果て行きし母の生涯
バーンアウト一家九人の重荷をば背負いし母の如何に重きか


今もなお見えざる過去の出来事を繰り返し見るより鮮明に
ふかみどりなる季節来て屋根覆いBSテレビちらとも見えず
安倍総理まともに論議する気なく野党の怒声笑顔で制止す
國焼かれ明日も空襲あるやもと町を離れて野宿もしたり
天皇の耐えがたきを耐え降伏をするとのラジオ安堵来し日
是よりは更に生きんと思わざり元気ですねを皮肉に貰う
羅音する肺の動きを感じつつ素知らぬ振りで演壇に立つ
ああそれで納得しつつ大臣の見え見えの嘘哀しき國よ
ベテランの和歌作るひと新米の短歌詠むひと苦渋の顔で
菅さんのしてやったりとけなしたり裸の男よ丸見えなのに

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徐京植の「フクシマ以後の生を考える」が抉るもの

詩人会議10月号の(ひうちいし)という欄に書いた原稿です。
掲載時は若干編集部の校閲が入っていますが、ここでは原文のまま掲載しました。

徐京植の「フクシマ以後の生を考える」が抉るもの            
                        
 
 フクシマが仮名書きされるのは、原発事故というあってはならぬことが起こって福島という地名の漢字が崩壊して再構築が不可となってしまったことを意味しているのだろう。そういえばヒロシマと仮名書きされるとき、世界初の原爆の被災地となって放射能に覆われた広島は、漢字が解体してしまって、ヒロシマという蜘蛛の糸のようなもので構築されているイメージを世界が抱くのかも知れない。徐京植のこのおはなしの深刻さは、単に原発事故という大事件が日本に起きたという深刻さを指して言われたものでなく、事件を事件でないかのごとく言いつのって日常のなかに埋没させてしまおうとする、日本人の思索の浅薄さに対する厳しい指摘である。思索しない日本人の性癖、過去を省みないであったこともなかったと言いつのる日本人の卑劣な島国根性を剔抉している。友人の元オートレーサーの中島光弘さんに詩人会議の徐京植のこのおはなしを読んでみたらと貸してあげたら以下の手紙を入れて返本してくれた。   「フクシマ以後の生を考える はとても深いとらえ方で驚きました。すごいものに触れて言葉にならない、というのが正直なところです。当たり前というか、本当のところに出会えた気がして、うれしさを感じながら読みました。ありがとうございました。」
 中島光弘さんはオートレーサーとして何度かの挫折と栄光を経験した人で、相手は敵ではなく好敵手という意識で人間を捉えているひとである。徐京植のこの文に書かれている日本人の生な姿は、隣国を敵視し侮蔑し、自己弁護に終始する日本人のぶざまさを思い知らされる。これを読んでショックを受けない日本人は島国に寄生する虫のようなものだ。


詩人会議10月号






| | 10:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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身体論  「詩人会議掲載済み」

日が翳る
寒さに背中をかがめ
亀の甲を背負ったように
重い背中
東光寺のながい石段を
毎日上り下りする
ここに住み着いてから三十年
黒樫の幹がずいぶん太くなった
繁茂する樹木の天蓋の下で
サフランの
十字架のような白い花が
仄かに薫っている
今朝は左足に痛みがあって
今までは自覚しなかった
崩れそうな何かの予感がしている
よく爪が伸びる
手首足首に
アーユルヴェーダのオイルを擦り込む
数分経てば
骨髄まで到達するという
胡麻油がなじむまで
手足を撫でながら思索する
虚無のゼロから
如何に人間が生きるかを書き記した
インド思想の面目躍如ぶりを
西洋哲学の蓋になってる
一神教の謎と比較して
講演したりしながら
点滴は人類の天敵だと主張する
点滴天敵論者のぼくは
世界が如何にあろうとも
今日一日の行住坐臥があるのみなどと
身体が会得した過ごし方に
日が暮れていく



ビラ決定稿

| | 08:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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マニス帰る

午睡して気怠い気分吹っ切れず大和の空に茜棚引く

仄暗き庫裡に坐りて見上げたるマニスの瞳去りし日のまま

志し衰えたるか日の暮れに羅音聴きつつ積読開く

夕食の準備をせんか数分で食卓に着く粗食の皿で

白檀の使い古びて香りなき数珠を弄る手よ皺々の


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| 東光寺山博物誌 | 09:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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黒猫

焼けた障子に
茜が差し
床の間が
ほの明るい
まだ覚め切れない視野に
見馴れた物の影が
朝の光に
輪郭を結ぶ
そこに
マニスが
足音もなく
いつの間に来たのだろう
去っていったあの日の
痩せ加減の
重さのない姿で
ぼくを見上げてる
溶け合った目が
長夜の帳を
破る


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制作 西岡良和

| | 16:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シークレットフラワー

何かを知らぬことは
致命的なことなんかではない


ほら あのはなが
バラなのか
芍薬なのか
などということは
どうでもいいことだ


ぼくは
見つけたもの
出合ったものには
自分で名付ける
好きか
嫌いかの思いの
前置詞をつけて


この花は
ぼくが子供の頃から
ここにずっと
咲いていて
見るたびに
ぼくの心を揺さぶる女に思える
名付けて
信心深い罪人の赤いドレス




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| | 16:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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シークレットラブ

海には
魂を誘う
光の幼児が潜んでいて
そんなことは
しなくてもいいんだよ
と人間に叫んでいる


銀波は
太陽に向って
眩しいとも言わず
光と風に
身を任せ


小魚は
やがて自分が
大魚に育つとも知らず
きらり
幼児の声を
反響している



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| | 06:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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野花

押される
圧倒される
そんな気配が
春の
山や野に満ちてくる

とんこじやまを下りると
中途の階段の横に
一塊の花が背丈を競っていて
佛の座が
ヤエムグラに取り囲まれて
伸びている

野の花にも
ライバルとか
仲良しがあるそうだが
野原にも
極相があるのだろうか

年月をかけて
自然が形作ったものが
苦も無く取り払われたりする
地上の変貌

自然を観察してると
人間嫌いが
激しくなったりして
寛容と
拒絶の精神がここにいるぞと
佛の座を見下ろしている



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| 東光寺山博物誌 | 12:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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遠吠え

はるか昔に
日本から消えた
狼の遠吠えのような声が
闇のなかから立ち上がってくる

暗がりに置かれて
歩んでいる人たちの
俯いた顔に
更なる闇が覆い被さってくる

二十一世紀初葉
海と地の揺らぎで壊れて生まれた
故郷を覆う見えないもの
列島を覆って減ることのない
見えないものが
じわっと我らの体内を蝕む
時の流れで変容してゆくもの
ゆがみを作り続けるもの
再稼働はんたいなどと叫んでも
繰り返される愚行

血が騒ぐこともなくなったかのように
むしり取られ
むき出しになった表土に
不信を抱きながら
また暮らし始める人たち

放たれた牛が野生化し
猪がコンクリートの街路を歩き
荒れ野になった田圃に
奇形になった昆虫や蛙が跋扈する
あの地に
人が心が戻っていくことはない

木々は繁茂し
草は背丈を超え
電柱が
車が
原野に呑み込まれていくあの地に
心が住むことはもうない

辺野古が
オリンピックが
豊洲が
森友学園が
総理夫人が
なんどということがあったっけ

絶滅した
日本人のいた列島に
狼の遠吠えのような声が木霊している

| | 11:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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わが近詠短歌 政治の風刺短歌も詠んでみました

 もはや九割実現の安倍政府と日本会議の旧國體思想に戻す日本改造。国会答弁も上から目線の見下した態度で野党の女性議員などは侮蔑の眼差しで対等な応対ぶりではない安倍総理だ。憲法など無きが如し。閣議決定で憲法を改正して公布すれば済むぐらいの覇権の振るい様だ。正常に戻すのは一票から。無力感

 見え透いた嘘でもそれを貫き通さねばならない地位というものがあって、魂の卑しい大臣とか会長や社長というものは間々そういう状況になりやすい。安倍総理もそれに選ばれた大臣も、高貴な魂の持ち主なんかではなく極めて卑しい魂の団塊である。類を持って集まるとは古人はよく言ったものだ。至言である。

 森友学園をめぐるラビリンスは螺旋の上昇下降まで加わって何処に根源があるのかますます分からないように意図的に撹拌されてきている。日本会議という本を出した菅野というひとと籠池が相談したとか。扶桑社からあの本が出たのは日本会議の存在を広布する仕掛けで国民への擦り込みが狙いだと思われる。

人は人の何と付き合ってるかというとその人が持っている考え方と付き合っているのである。人が誠実かどうか言うことが信じるに足るということが付き合って行ける条件であって稲田防衛大臣も阿部総理も国民のコモンセンスから言えば偽善者もいいところで信を置けない。与党もしかり、で野党よお前もか?




2017/03/30追加

明日香村まだ肌寒き飛鳥川飛び石渡り古代を想う

蝋石で丸を描いてけんけんと跳ぶ少女らの眩しき記憶

清流の流れの淵に小魚の影を眺めつけんけんと跳ぶ

村はずれ川を跨いで注連縄のなにを守るや神々が揺れ

故郷の我が家に遍路辿り来る寄る辺なき人乞食しつつ


清流の水音軽く風そよぐ握ってみたりネコヤナギの芽

猫柳何故に猫かと聞いてみた毛並みがそうでしょと微笑むひとが

手のひらに隠れるほどの野の花を菫かと聞けばオオイヌノフグリ

水音が寒さの中で身に染みる咲かぬ桜の膨らみを観て

飛び石を見ればけんけんしたくなる悪戯っ子の心躍りて

如何ばかり悲しかりけん能薄き防衛大臣術無き涙

迸るほどの力もなき野党多数の壁はアメリカの壁




殿様と呼ばれた時代の支配欲頭が高いぞよ退がれ下郎奴

従えし無能の家来同レベル己が仕事の如何を知らず

籠池という名の如くてんこ盛り廃棄物から森々の謎

喚問をされて引き出す黒糸の先に殿様姿見せるや

あり得ない事ばかりする為政者の芯に火が付く喚問見よう

森友と俺俺詐欺と比ぶれば騙した数で俺が負けてる

国会に参考人など呼ばせるか切り抜けますよ総理舐めんなョ!

確固たる信念があり私には取り仕切ってます日本の未来

三権の分立などと言うものは無視すれば済む閣僚会議

奥さんが足引っ張るとは予想せず公人ならず飲み屋の女将よ

許しません安倍政治などとほざいてももう直ぐ逮捕よ密談してろ

歪めたる口許冷笑麻生さんマフィア気取って着こなし流石

何事がバレても辞任しませんよけりがつくまで嘘やめません

去年にも今年も訊いた花の名を思い出せずに写真見ている

俯いて土の匂いを嗅いでいる花を撮ろうと自撮りで写す

人の名も花の名前も忘れたりどうでもいいとき思い出したり

国会の椅子にふんぞりかえりたる不敵な冷笑悪ガキ麻生

江戸時代ならば切腹命じたし殿になりたや安倍戯画答弁

観自在だけでは駄目よ行動も善きこと目指し動自在なれ

昼食にスンドゥプチゲ体験すスープの赤き色にたじろぐ

予約した旅程の切符購入の窓口の人むっつり男

どの面を下げて威張っていられるかテレビに向けて拳を振るう

見え見えの嘘だと言うか証拠出せ声荒げたる総理の悲哀

我が名をば忘れましたと言うならん裁かれる日も白塗り化粧で

安倍さんが生命かけても守りますあなたが崩れば我が身も崩壊

地下鉄のアナウンスする声聴けばまともに動く何物かあるよ

新大阪次の次かと思いつつ防衛大臣の顔も散らつく

ど忘れか完璧忘れか決めかねる電話して訊くあの花の名を

食したる朝鮮料理赤々と粉唐辛子腹温かし

夕食の時刻となれど食材を思い浮かべて矢っ張りパンにす

なにもないいつもないとは信じられぬわが台所見て友は嘆けど

食いなさい食わねばダメよと言われてもああ手続きの煩瑣ならんか

仏の座群れて迎えてくれました朝日を浴びつエンジンかける

近いうち除草剤を撒きますと地主の挨拶思い出したり

茫々と野草繁って何故いけないの地主の挨拶に言葉返せず

いつだって見捨てられたる野の花に心惹かれる齢となりぬ

いくらでも口からでまかせ言いまする防衛するのが私の役目

隠そうとするほど本性現れてさらに上塗り厚化粧す

大臣の器に合わぬ二枚舌たとえ美女でも苦笑で済まぬ




ファイル 2016-06-08 7 26 14


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東光寺山

近所のお年寄りが
とんこじやま という
東光寺に
今朝は所々雪が残ってる

仄白い空気に惹かれて
戸外へ出てみると
視野を遮る樹木の向こうに
街の屋根が
白く光り
街は呼吸を止めている
 
大阪へ移住してきた冬に
かじかんだ
冷え切った手を
擦りあわせながら
かなり降り積もった雪を踏み
大阪府南河内郡狭山村西池尻から
狭山池の
村役場の建つ土手を歩いて
小学校へ通った朝を思いだす

七十年経っても
鮮明に記憶に残る
雪景色
その背景にひろがる焼土の街
空襲の火炎を逃げ惑った
恐怖の時間も蘇る

あの朝の
この世に不信を抱きはじめた
燃える景色を思い出す
私もまた炎を見ながら
沈黙して応えない神に
両手を合わせて祈った人間のひとりだ

読経する自分と
不可解な世界に
憤って止まない自分との
埋められない懸隔

雪は間もなく消えてゆく


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イヌホウズキ

犬酸漿

イヌホウズキ
そんな名前の子とも知らず
長年見ていた馴染みの野花を
今朝足を止めて
一枝摘み取ってきて
空き瓶に投げ入れた

寒い駐車場の地面で
風にゆれていた
目立たない花だが
机に置いて仔細に眺め直すと
茄子色の葉と茎
小さな実は
茄子のミニチュアそのものではないか

目に触れる
いのちあるものを観察すると
かようないのちを紡ぎ出すのは
創造主にあらずして
なにものがなし得るや
などと思索する

先だって
本堂の前に
一坪ほどのウエルカムガーデンを
作ってみたが
亜米利加犬酸漿も
ここに連れてきて
育ててみようか

庭に直植えした
ピッパラ
インド菩提樹も
寒さに抵抗力をつけて
このまま成長しそうだ

根元に枯れ葉の布団を重ねて
通りかかる度に
たっぷりの水をかけている


IMG_5907.jpg
亜米利加犬酸漿(アメリカイヌホウズキ)

IMG_5679.jpg
印度菩提樹

| 東光寺山博物誌 | 19:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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棟方志功の
彫刻刀の切っ先が
切り屑をくるりと巻いて
手許に落ちてくる

切り裂いていく
細い線が
糸月のような
女の上瞼と下瞼を彫り
最後に唇が彫られる

豊満な女の欲望を称えて
紅花の色に
刷りあがることだろう

画面すれすれに
目を皿にして
作画する孤高の様子が見える

閉じられた唇のなかに
世界を切り裂くような裂帛が息づいている

朱色の唇が鮮やかな女は
佛の名前が付けられたりして
艶然と微笑している




Unknown.jpeg



| | 16:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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Shyan Kishore in full moon

月が満ちるとき
潮が満ちて
ひたひたと風に揺れる
波浪の上を
黄金の鳥が飛んでいく

額の内側に
意識をひたっと合わせて
唇から吐くともなき意識が
音を作りだし
羽衣のような音色が
月に向かって
流れていく

遠くから旅をしてきた
孤独な男と女が
満月の下で結ばれ
綾なせる思いが
銀の糸となって
月に届く

月を背に
踏みしめてあるく
ふたつの
真っ黒の影が
浜の真砂に焼き付いて
波浪が走ってきても
影は
消え去ることはない

満月の下で
潮は満ち
月が背を見せ始めると
笛の音を
闇が吸いこんでいく


シャイアン・キショールの笛 youtube

images.jpeg

| 未分類 | 16:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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聴く

海が満ちてくる
月が明るくて
さざ波に光波を浮かべながら
潮は
下半身から
上半身へと
私を浸していく

月が輝き
星は
輝きを失い
蒼天のような闇夜にひそんで
月が没していくと
輝き出す

音はない
気が
潮のように流れてくるのだ

寒空の下で
息吹のように
立ち登ってくる
シャイアン・キショールの気

バンスリの
音色のなかの
色や光や
満ちてくる潮を
聴きながら
私は
パンを焼いたり
楽健法に興じたり
目を閉じて
どこかを浮遊していたりする

shyan kishore at tokoji

https://youtu.be/gjKRnV_o7kI You tube です。演奏をお聴きください。



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不幸について

その陰は
わたしにしか見えない
鏡にもうつらない
ぼんやり感じる悪魔か
やさしい隣人とでも言おうか

その陰に包まれるとき
わたしの脆い細胞の迷路は
にがい水にみたされ
おのずから
生滅をくりかえす

しあわせが
隣人のように
やって来たとしても
黄金の羽を眩しくはばたかせ
たちまち消え去るだろう

その陰が
私と重なりあうとき
わたしはわたしを
はっきり感じる
昨日から今日へと
そう確かに生きていると

あってなきもの
なくてあるもの
それが
じぶんというもの
陰と溶け合って
苦楽の海に泳いでいる

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宇宙

宇宙はひとつ 
地球もひとつ 
地球上の
国家はたくさん
国家のもつ多様な世界
多様な宗教
それらの国に生きる
多数の人々は
ひとりひとりの世界をもち
ひとりひとりの世界は
宇宙よりもひろく
過去未来に通じているが
それを知らず
いまをただ生きてあるかのごとくだ
戦争の20世紀には
かくてはならじと理想をもった思想もあったが
すべて挫折し
見殺しの時代21世紀
索漠たる世界に
人々は呻吟している
地は震え
風は吹きすさび
杜の木々は
こともなげに揺れている


IMG_5768.jpg

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インドの波風

インドから
零が広がった

零は
中国で空と訳されたとか
日本人は
無常なる感覚を空ととらえ
非情なるものから虐げられたり
苦から逃れんものと
運命の儚さを衣にまとって
隠遁のため
出家をする人もいた

人生は苦であるというが
根本の苦は生老病死なのか

問うが
生まれたときの痛苦の自覚があるか

覚えているひとはいない
生の苦は
自覚しないので僕は否定する

老の苦しみは
介護される日本人のあり方で証明できる

病の苦しみも
目の当たりにする苦の実態である

死は
避けたいものとして
想像のなかに
あるだけのものでしかない

臨死体験などは
死ではない

死の苦を体験してきたひとは
ひとりもいない

生老病死を四苦というのは
まぎれもなく俗説で
人生は二苦なのであろう

生きるとは
生老病死四苦八苦
伝えられてきた無数の教えを
生きて検証しつつ
通念をそぎ落として
自分の思考を巡らすにある

など考えつつ
身についた行住坐臥を
今日も生きる

manari

| | 12:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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紅の記憶

昨日の続きのように
今日を生きる

一昨日の続きのように
昨日も生きた

先週の今日のように
先月の今日のように
去年の今日のように
今日を生きる

もしかすると
日々新しく生まれ変わり
昨日にはいなかったぼくが
今日をいきているのかも知れない

いつも
哲学や
文学や
宗教のよりどころのなさについて
論じ合っていたひととの間に
紙切れほどの壁ができて
二人は
地球の裏と表に行ってしまう

ぼくは
昨日も今朝も
それが一昨日だったか
去年のことだったか
思い出せもしない
はるかの過去の出来事のように
山脈をバックに
稲穂が揺れ
段落のある田園に
狂乱のさまで
阿鼻叫喚をあげるかのように咲いていた
曼珠沙華のくれないを
思い出している



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| | 08:25 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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哀しき夕景

ひとが夕暮れを眺めて
佇立するとき
流れさった
木の葉を追うように
思いが渦巻き
片鱗のような過ぎ来し方が
両の肩に
陰を落としている

子供のころに
電柱の支柱にもたれて
母の呼ぶ声を無視しながら
ぼくは夢想した

ぼくのいるこの場所は
きっと巨人のおなかの中で
巨人のおなかの中には
太陽が輝き
大地も海もあって
人や動物が棲んでいる

この僕のおなかの中にも
太陽も月も大地も海もあって
ここには
僕と同じ名前の子供が
母に呼ばれていることだろう

そんな夢想に耽りながら
夕方がやって来て
夜の帳が下りることが無性に悲しく
ぼくは
もたれている電柱に
太陽の暖かさが残っているのを
抱きしめて涙した

いっぱしの読書家になって
ぼくのおなかのなかの宇宙は消えてしまったが
世界は
ぼくの思念のなかで
宇宙大に広がって
宗教だの
哲学だのと
過ぎ去る刻にとっては無縁のことを
いまも考え続けている

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| | 12:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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梔子

天が荒れ
地が荒れ
のたうち回っている大地に
今日も烈日が射す

僕はなにかをしなくちゃならぬ
東北が壊滅して
悶々数年
日本列島だけでなく
曾遊の地
ネパールでも
瓦礫の山が築かれた

この世が
歪んで
正常ならざる時
ひとはなにをなし得るか

本堂の前に植えた柿の樹と
競いあうように伸びすぎた梔子
背丈を超える冠になって
通路を妨げ
開いた匂う花も
天空に向いて咲いている

子供の頃に経験した
軍国主義国家の雰囲気が
醸成されつつある
闇の気配
篭もる憤り

剪定鋏を手に
世の暗い空気を断ち切らんとばかり
伸び放題の傾いた梔子に
鋏を入れていく


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| 東光寺山博物誌 | 09:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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誰かが笑うとき

打ちひしがれて
手も足も出せないときがあった

誰かの話す
ふだんの言葉が
針をふくんで
聞こえてきたりする

くらい気分のときには
神はどこにもいないと思ってる
自分なんか
ここにいなくてもいいんだなどと
思ってるのだ

父が狂ったのは
それを母が支え続けて
バーンアウトして逝ったのは
くらい笑顔のない戦争の時代に
翻弄されつづけたからだ

だれかが笑っている
狂った父は
笑ったりはしない
笑わない父をもった
こどもたちも
笑ったりはしない

だれもが
笑いを持っている
僕たちの家族のそとでは
だれもが笑いを持っている

笑いには
いろいろな色がある
色には
希望がかがやいている
色には
朝の色と夕べの色がある

がらんどうは歌う
まもなく演じる芝居のことを
思いながら
ぼくは執拗な思念にとりつかれ
若い日に読んだ
アーネスト・ドウソンの
メランコリーインディード
などということばをつぶやいたりしている


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| | 11:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ネパールにはロクタという植物で作られた手漉きの紙があって、私はネパールへはじめて行った50年ほど前から購入して愛用してきた。楽健法の允許状もこのネパール和紙とでも呼びたい手漉き紙に書いている。

3年前にネパールへ行ったときにも購入してきたが、残りが少なくなったので、ネパールの寅吉さんに頼んで送ってもらった。買う度に風合いも違っているが、今日四つ切りにして即興詩を書いてみた。

http://nbazaro.org/vlnews/vl30/vl30_tokushu.html ロクタ紙

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| | 18:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドームの杜

樹木が群がると
密林となるが
東光寺の庫裡の庭のクロガシは
互いに競って背高になり
木々は光をもとめて
天に向かって伸びるので
庭に立つと
巨大な緑のドームに
すっぽりと包まれる

離れた
川向こうの道路からは
蔦がのびて
クロガシの天頂に冠となって
藤の花が咲いてるのが見えるが
すぐ下から見上げても
ドームが黒々と見えるばかり
藤棚の鑑賞にはならない

ドームの地面には
マニスの墓碑が落葉に覆われ
おがたまの花が咲くと
ドームのなかは
香りで満たされ
マニスは穴から出てきて
ぼくの足にからだを擦りつける

この一瞬は無限の刻
無限の刻はこの一瞬
などと思いながら
黒い杜のドームと会話する





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| 東光寺山博物誌 | 19:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伝説 (ソネット)

信仰にも哲学にも疲れ果てた旅人が巡るのは
思索のなかに輪廻するこの世とあの世
深く果てなき闇の迷路を
辿ってきた今日までの己が足跡か

人が冀う幸福は何処かにあったか
父の手母の手祖父の手祖母の手
そのまた親たちの手が掴んだ幸福は
路傍の石ころのごとく誰も顧みない

たった一度っきりの
与えられた巡礼のいのちの今日
他者を見る疲れたその目に光るもの

どこかで選択が間違っていたのだろう
真に生きるべき時代の時空を超えて
この星にいま生きる無力な旅人の一人であることは

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| | 19:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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きらら (ソネット)

きららという言葉がある
メダカの卵もきららたるものだが
ぼくが覚えたきららの実態は
下着の縫い目に産み付けられた虱の卵だ

きららという名の米があった
敗戦後の混迷期に
虱の卵をきららと呼んでいたぼくは
なんだか納得し難かった

ガラスの器の底に
一塊のきららが沈んでいて
子細に観察する

メダカの卵のきららから孵化したのは
全長2ミリ胴体は0.3ミリほどか
透明なガラスの底にへばりついて蠢いている


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| 東光寺山博物誌 | 15:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鶏鳴 (ソネット)

乳房のある鶏が
午後の陽差しを受けて
書棚に光ってる
ものうい五月

焼きしめた
テラコッタの鶏
大阪万博の頃に
僕が手びねりした

歩いて転んで
叫んで
泣いて

八十路になって
来し方を通覧していると
底のほうから鶏鳴が聞こえる


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| | 10:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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燃える国

きょう巨大な日没を見た
二上山のはざまに
ゆっくりと下がっていく入り日
軽四輪のフロントグラスの
真っ正面に
太陽が矢をつがえ
西に向かって走る僕の目を狙って
飛んでくる
光の矢束
僕は
太陽を真正面から見詰めるのは
得意技だ
睨み返した日輪は
光輪をゆっくりと右に回している
二上山のトンネルに近づくと
日輪は姿を没した
二車線の南阪奈トンネルに入る
連休なので
普段よりは車が多い
マニュアル車の軽四だが
僕の運動神経に敏感にレスポンスして
エンジンも軽快だ
日本最古の
竹ノ内街道を潜って抜ける
トンネルを抜ける直前
半円形の出口が
思わず息を詰める深さで
朱に彩られていた
トンネルを抜けると
真正面に大日輪が
阿字観の極まった如来のごとく
羽曳野丘陵に浮かんでいる
太陽は
凝視する僕の目に
光柔らかく
微笑しながら
空間をいびつに揺らし
沈んでいった



二上山の夕陽をyoutubeからお借りしました。


| 東光寺山博物誌 | 21:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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観自在 動自在

窯からだすと
パンの花が開いて
甘やかな香りが立ち
食パンの頂は
外気に触れてぱちぱちと
はじける音をだす

二時半に起床
三時から捏ね始めたパン生地は
二時間後に膨らみ
作業台に取り出して
手製のアクリルスケッパーで分割する

五十グラムのプチパン
三五〇グラムの食パンなど
七種類のパン
およそ八百個のパンを
整形し
二次発酵し
窯に入れて焼き上げる

パンを作りはじめた
昭和49年春から
なんと長い時間
パン作りに精出してきたことか

リンゴ
にんじん
長芋
ごはん
砂糖

冷蔵庫で休んでいるスターターのパン種

今日も間もなく
パン工房へ出かけて
手慣れたパン種作りの仕込みにかかる

私はこのところ
親鸞が如何に生きたか
と言うことに惹かれて
親鸞の書物や
伝記を紐解きながら
パン作りや
楽健法を世に広めんと
パソコンに向かったりしている

ひとは好きなように
生きられるわけではないが
わが道程を振り返ると
一つの星を見失わないように
持続した意志を貫いてきた
貫いてこられたのだと
振り返る

観じることから
自在に動くこと

観自在
動自在

などと理屈っぽいことも考えるが
体解した諸々の技は
観と動は一つになってると観じる

はてさて
またいまからパン作りだ


 

ぱちぱちとクラッシュ入る音がして食パン生まれた産声ぞする



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| | 10:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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切れる

過ぎ越し刻を追想する
逆走する思念
近づいてくるその刻の予感
じわっと湿気のように浮遊し
枯れ始めた躯の皮膚を
なにかが這い
汗ばむ

業火はあれだったろうか
ボンバー29の
銀翼に紅蓮を映しながら低空飛行
恣意のままに投下するのか
炸裂と拡散
天を覆う火炎
悲鳴と駈ける足音
少年は逃げる
燃えさかる故郷の山を背に

祖母がつぶやく
お前が一人前になる頃に
あきまさは
帰ってくるだろう
タラカン島で戦死した息子
祖母に刻まれた皺に
苦渋の波紋

顔よりもおおきな
一輪のあじさいを抱えて
姉が笑ってカメラに向かっている
セピア色の昭和の一枚
大きな握り飯を
鷲掴みした幼児が俺だ
姉に抱かれ
蕩けそうな懈さで目をとじながら
姉を犯している幼い俺

生きることの困難が
冷え切った指先に
痛みになって残ってる
もう見ることもあるまいと
瞼のうらから薄暗い世界を凝視め
この世と縁が切れるまで
あと1時間だな
瞳孔が開きはじめる

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| | 10:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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樹の老婆

樹の老婆

彼女は永遠の時間を使い果たそうとしていた
剥がれた枯葉の下に埋もれている骨の樹
あの時に見たのが最後だったかもしれない
彼女は老婆のまま
ぼくの脳裡を浮遊している

深く刻まれた皺は
顔から胸へと
こわばった皮を手繰る
彼女はぼくのおばあさん
九人の子を産んだ
泣きわめく子に飲ませた乳房は
今や 枯れた糸瓜
左右の長さが違ったまま
ぶら下がっている
かつて 彼女のスカートの下に
輝く天使がいたなんて
天国を信じる幼児でも
思いつかない

時は流れ 水は凍る
だれが彼女を想うのか
だれが彼女を悲しむのか
もうすぐぼくは黄泉に行こうとしている
天使は両手をひろげ
ぼくを抱きとめてくれるだろう


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| | 11:53 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鏡と頭

ほんものの
自分の顔は
だれも見ることが出来ない

マックのパソコンでは
photo boothというソフトで
自分の顔と向かいあうことが出来る
立ち上げると
これが己かと思う顔が
僕を見つめている

自己嫌悪にかかりたければ鏡を見よ
などとニーチェは言ったりしなかったが
己の顔に見惚れるような
ナルキッソスでも無い限り
鏡は冷酷にありのままの自分を
見せてくれる

ジキルとハイドではないが
人間には
頭のなかにいる自分と
生身の自分とのふたつが
矛盾無く生きていて
頭のなかの
作り上げた仮想の自分が
ずれも自覚しないまま
毎日を
疑念も抱かず
生きて
動いて
いるのかも知れない

部屋に飼っている
小鉢のなかの
メダカに
視線を走らせたりしながら
MacAirで
さきほどちらっと見た自分の
自分ならぬ顔を思いだし
こんなことを書いている

痛む足の指先
冷える手足
昨夜剃ったのに
もう伸びてきた無精ひげ
ああいやだ
などと独りごちながら
夕方がくるのを
見上げている

すこし散歩にでかけよう
この気に食わぬ顔のままで
文庫本の背表紙でも眺めて
気分を変えてきましょう


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| | 14:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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さむはら

さむはら


さらばとも言わずに
むこうへ行った人
はらはら花散る季節には
らんぷを灯して眺めてる

さよならだけが人生と
むかしの人が書きました
はたしてそうか試さんと
らっけんほうをやってます

さむはら神と向き合って
おんさんばらさんばらうん
今朝の挨拶です


| 未分類 | 14:34 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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寒波

昭和二十一年の暮れ
大阪府南河内郡狭山村の
春本木工所という会社に父が職を得て
七人家族の我が家が
一枚板の
隙間風が舞い込む飯場に住み着いた
霜柱が
道路を踏むと
グシャリと音がする
寒い日に
やって来た
大阪へ引っ越すと知って
都会のどんなかも知らなかったが
なにがしかの想像はしたが
住み慣れた
徳島市の我が家より
そこは格段の田舎だった
その冬は
何度か雪も積もって
飯場の家は冷え込んで
母は引っ越し荷物を包んでいた新聞紙を
糊を炊いて
板壁の隙間に貼り付けた
飯場には水道も井戸もなく
裏の池の
急斜面を降りて
池の水を汲んでくる
池の水は
澄んではいたが
こんこんと湧き出る井戸で暮らしてきた一家には
悲傷な思いを余儀なくされ
近所の農家へ
貰い水に何度か行ったりしたが
やがて諦め
池水で暮らした
池に漣が立ち
寒波が頬を撫で
指に霜焼けが出来て
指を擦ったりしながら
僕は水汲みに斜面を下りた
狭山池の桜並木の堰堤が通学路で
飯場から小学校へ通った
風は冷たく
風花が舞う堰堤の道を
冬になるといまだに思い出す
寒波の風は
今も僕のこころに吹き続けていて
夢の中で
耳の痛みをこらえながら
歩いていたりする
頻尿気味の今冬
僕の人生も
寒波の時期に差し掛かったか
七十年前の
冷え込んだ日々は
今もそこにあって生々しい















| | 00:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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あんなあな

鳥見山の向こうから
日が昇る
張り替えたことのない
障子に
木々の葉が
影絵になって
風の動きを伝えてくる
床の間に
棟方志功の版画を掛けて
去年から
睨んでいるが
墨一色の存在感を超えて
何事か語りかけてくれるようだ
除夜の鐘とともに
時空の彼方から
やってくる
あんなあな思考


  ※あんなあな 
   加藤道夫の戯曲「なよたけ」に出てくることば。
   あんなあなに騙された。と童歌のように歌われる。


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| | 14:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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カミシメル

1981年の世界正食教会の機関誌 正食 新年号に掲載した詩です。

  カミシメル 
         山内宥厳

玄米ヲ
モットモ有効ニ
アリガタクイタダク秘法
宥厳和尚ガ
ユメマクラニタタレタ
弘法大師カラ教エテイタダイタ
密教玄米秘法ヲ
新年ニアタリ
特ニ本誌ノ読者ニ
伝授イタシマス

オメデトウ

ヤ!
アナタモ新年ニ際シテ
今年コソハ
玄米ヲ食ベツヅケルゾト
決心シテイルヨウデスナ

去年モ新年ニ際シテ
今年コソハ
梅干ヲ毎日一個ヅツ必ズ食ウゾ
ト決意シタノニ
百八個シカ食エナカッタトイウノハ
アナタデシタナ

決心ハヤサシクテモ
実行ハムヅカシイトイウコトコトハ
ヨクゴ存ジデスナ

今年ハイヨイヨ玄米ヲツヅケルトノ
決心
ソレハ オメデトウ
決心ハ正月ダケデナク
毎日毎日
一時間毎ニクリ返シ決心シタ方ガ
イイノデハナイデスカ

今年コソハ大丈夫デスカ
ソレハメデタイ

玄米ヲアナタハ
ムシャムシャ食ッテオリマスナ
玄米トイウモノハ
食ウ物デハナクイタダクモノダ
トアナタ言ッテマシタガ
ソウシテイマスカ

イナイ?
噛ミタクテモ
口ノナカニ玄米ガ居ナクナッテル?
百五十回モ噛メトカ
百五十回モ噛ンデイルトイウ先生ガタノ
話ハ
ウソデハナイカトオモウワケネ

ソノナヤミオ答エスルノガ
弘法大師楽健寺直伝
密教玄米秘法ナノダ

ソレデハサッソク伝授シマス
紙トエンピツヲ用意シテ
和尚ノトナエル呪文ヲ
ウツシテクダサイ

オン アボキャ ベイロシャノウ
マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ
ハラバリタヤ ウン

コレヲ食卓ニ立テテ
心ノナカデ一口一口噛ミシメ
トナエナガラ
玄米ヲイタダクノデス
オカズモソウシテイタダクノデス
玄米ハ二回トナエマス
コノ呪文ヲトナエナガライタダクト
玄米ハ決シテニゲダサズ
ソノ霊験ノスバラシサハ
タダタダオドロクバカリデス

イマカラ早速
実行イタシマショウ 合掌

IMG_4625.jpg
クリックすれば大きな画像で見られます。























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詩集 [水の旋律] 岩堀純子 編集工房ノア刊 レヴュー

詩集-水の旋律-岩堀-純子

詩集の題名になった「水の旋律」はこの詩集のなかでは静謐な眺めを見せてくれている。

白い貝のなめらかな内面で
存在を増す

遠い海からの微風に
澄みきった
水滴が揺れる

と書き出されるこの詩には、この詩集のなかで描かれる精神の揺らぎや、闇は描かれていない。
この詩人のまなざしが捉えようとしているのは、見えない自分が欲求している不可知のなにかである。
佛教にもキリスト教にも通暁しているこの詩人は、知りすぎているが故の苦悩を描く。

そこに
石があった

それは
地上に散らばる
無形と無意味の
結晶
あるいは
沈黙する


(中略)

どんな羽があれば
どんな眼差しがあれば
長い日の
循環の果ての
夢にも似た
その塔へ
一歩だけ
歩めるのか
    (塔へ)

求道とか真理の探究とか自在なあり方とか、自己の持たないものを求めてさまよい歩く魂でもない。
この詩人は自己の置かれている位置、在りようを知悉しているが故に苦悩する。

逆らえない
抗えない
美しく
醜い
生きものよ

幻影かも知れない
現の身が孕む
蒼ざめた炎
それは わたしのなかにあって
わたしからも
あなたからも
永遠に遠い
    (生きもの)

もがくのは生きもの、否、にんげんの定めなのか、と詩人は考察する。
人間を拒絶することは、自己の拒絶、自己否定でもあるが「水の旋律」の詩人は否定仕切れない存在の闇のなかで、思索し詩を書くことで自己の闇に光を当てて自己を凝視しようとする。
その揺らぎようが、読者に不安感を醸し出すこともあるだろう。
人はなぜそんなにも日常が平然とおくれるのだろうか?

わたしは形がない
言葉が
あなたが
わたしを
つくってゆく
鏡のように
わたしを浮かびあがらせる

わたしは形がない
言葉が
小さな石が
わたしを
つくってゆく
墓碑のように
沈黙の意味を教える
      (言葉が)

行住坐臥しか生活のなかにはあり得ないと知っていながら、人はなにかを何処かに求めるものだ。
この詩人は、帯に書かれた言葉のように、
(流れとばしりあふれ光る言葉の躰 わたしという迷宮 存在の混沌を 水の感触であらわそうとする 硬質だが豊かな表現で静謐に至る 思索の詩集)風景も身に起きる事件も存在の謎に還元して思索を深めている。その水底から清流になって溢れてくるもの、それを言葉の躰・詩として誕生させてくる。
詩人は2015年5月17日に、毎日新聞社オーパルホール第66回春の短歌祭で、関西文学賞を受賞されている。
「どうだん短歌社」同人
ブログ 熱帯の朝と歌と http://nettainoasa.blog.fc2.com

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